天と地と 第一部 第五章

 くだんの男児は残酷なる身体しようがいによつて下半身が不自由でありしようしやなる車椅子に鎮座してをりめいちようたる運動不足のためにほうじようなるにくたいをしてゐた。

 車椅子の男児は毎日愚生にかいこうすると「おれのおとうさんはな。なになに連合艦隊の参謀のなになに大尉でな。バルチック艦隊をやつつけて天皇陛下に謁見したがあよ」と『一文字』も相違せずれいげんあらたかなるはんにやしんぎようを暗記したやうにしたものである。

 せいぼくなるきゆう窿りゆうずいうんが明滅してゐた某日『いきもの』のべんきよう中愚昧なる愚生が「いきものはみんな『ひも』でできてるがあよ」と車椅子の男児にしようじゆしたら「そんなわけねえ。むしけらが『ひも』でできてゐても天皇陛下が『ひも』でできてゐるわけがねえ」とげつこうしたので愚生はきつきようして「天皇陛下はそげにえれえがあか」と尋問してみた。

 車椅子の男児は「天皇陛下は神様らつけの」と威風堂堂とひようぼうした。

 で愚生は『たしかに神様はみたことねえ。神様は『ひも』ぢやねえかもしれねえ』とおもふやうになつた。

 くだんの天皇陛下のくだりとおなじ平日のさんらんたる天候だつたので我我幼児たちは『よいこのいえ』にせきするぎようふうしゆんの公園にて『おゑかき』をすることと相成つた。

 愚生は『ゑ』が難儀であつた。

 なる『絵画』を観賞しても『平面のひもの団塊』にしかみえないからである。

 ようなる愚生をけいどくにして元気はつらつたるおともだちはみなようとうたるありんこの行軍をゑがいたりわくてきなるちようの舞踏をゑがいたりあいぜんたるくさむらの神秘をゑがいたりしてゐた。

 いぶしい愚生はとうしなれておともだちの『ゑ』を観賞してゐるだけだつたがしよくそうぜんたる四あずまやに鎮座してかんとしてゐる先生はようなる光景にせいちゆうをくはへることはなかつた。

『よいこのいえ』では『先生』がおともだちに秋霜烈日の体罰をくはへることは無論のことけいじようがく的にもけいがく的にもおともだちの唯一無二のかけがへなき霊肉をせんきようどうすることはなかつたのである。

 先生はただかんとしておともだちの成長を見守るだけであつた。

 でおともだちの『ゑ』を観賞するだけだつた愚生はディスカリキュリアだとかいふなる女児ひとりだけが『ゑ』を描破せずに『キャンバス』を『切り裂く』といふ表現をとつたことにきつきようした。

 車椅子の男児が『切り裂かれた』『ゑ』をみてディスカリキュリアの女児を「だ。だ」とざんぼうしはじめた。

 愚生はうつぼつたるきようしんといふよりもディスカリキュリアの少女の『ゑ』だけがたしかに『げいじゆつである』とおもへたがゆゑに車椅子の男児にげつこうして「はおめさんらの。これは素晴らしい『ゑ』らの」とほうこうしてディスカリキュリアの少女を擁護してやつた。

 車椅子の男児はたまゆら顔面そうはくとなり激怒のがんぼうとなるとつづいてほうはいしやがんしてゆき「がすきらしいの」としてきた。

 愚生はるいじやくなる身体しようがいの男児をちようちやくするわけにもゆかず自然とかかげた鉄拳を虚空でへんぽんかいてんさせるだけであつた。

 いんの挑発にげきされたらしい車椅子の男児の『じゆう』たちが「ヒコクミン。ヒコクミン」といつて太尉の子供である男児のすうせいにつき愚生を殴打しにかかつてきた。


 愚生は仁王立ちしてようげきせんとする。

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