天と地と 第一部 第一章

 天と地と


 愚生には『ひも』にみえる。

 森羅万象が『ひも』にみえる。


 ぼうばくたる合衆国のまんもくしようじようたるアーリントン墓地にて殺伐としたひようふうのなか切腹自殺せんとしてゐる愚生の三十一歳でしゆうえんすることとなつた人生は結局のところさいたる『ひも』によつてきくいくされさいたる『ひも』によつて破滅する運命にあつた。

 霊肉ともにまんしんそうの愚生はのうに激戦地コヒマにて愚生ととうじようしたあの運命の米兵の神聖ぼうとくすべからざる墓標のまへにかくねんしようそんきよをしてほうはいと深呼吸をした。

 やがて愚生は大戦においてあの米兵にとどめをさした旧大日本ていこく陸軍用のはちめんれいろうたる銃剣を右手に掌握する。

 すべては『ひも』だつた。

 どうもうなる産声をあげたより『世界がひもでみえる』といふ能力をもつてゐたがゆゑにようなる人生をおくつてしまつた愚生には夢幻泡影の人生のしゆうえんにのぞんでゐるいまも世界がはくいろに明滅する『ひも』の団塊としてみえてゐる。

 しようしつひようふうにふかれてたゆふてゐるくさむらしんいんひようびようたるてんぴようにゆらめいてゐるうつそうたる樹木たちはもちろんのこと不彀本ぽこぺんたる愚生があれほど憧憬したじゆんこうかいの日本国の象徴たる太陽すなはち天照大神ですら『ひも』の団塊にすぎないのだ。

『これは悲劇なのだらうか。それとも精緻にして巧妙なる喜劇なのだらうか』

 愚生はくだんの米兵の墓標のまへにはいするかたちでそんきよしながらあてどもないことを沈思黙考せんばんこうする。

『人間は死んだらなるのであらうか。この人生は本統に意味あるものであつたのであらうか――』

 ようにしてせんめいたる人生のしゆうえんにのぞみ『ぶつたいにふれることでひもの過去がみえる』といふ能力により左手で胸郭をあいし夢幻泡影の人生のあれこれをほうふつしてゐるとふと気懸かりな映像がのうに現前した。

 奇妙なほどめいちようたる記憶のなかではさんらんたる日輪のもとにかくやくたらしめられてゐるじゆんこうかいの長岡市の公園にて『よいこのいえ』に通学する愚生と『あのひと』がかくれんぼをしてゐた。

 実際にはほかに天衣無縫のおともだちやあの車椅子の少年などもゐたはずだがなることに愚生の記憶には愚生と『あのひと』しかゐない。

 うつそうたる森林にじようされた公園でもうまいなる幼少期の愚生がせいせいたるくさむらとんざんすると『あのひと』のこゑがめいてくる。

 いわく「もういいかい」と。

 意味深長なる言葉によりけつけつたる脳髄がけいれんしたやうな感覚になつて愚生はほうはくたるアーリントン墓地にゐる現実にひきもどされる。

 しゆつこつとしてひようふうがやんだ。

 とおもふといやにやさしいくんぷうがふいた。

『そのときがきたらしいの』と愚生はおもふ。

 愚生は明鏡止水で正座ししようしやなる上着をはだける。

 かいしやくなしで切腹せねばならぬ。

 かくしやくたる左手と右手で銃剣を逆手に掌握した愚生は銃剣の切つ先を左側のふつこうにあててすこしつきさしいんもうひやくがいきゆうきようの感覚によってふつこう内のぞうろつの位置を確認する。

 つづいて愚生はあぎとをひきしめほうはいと深呼吸をし銃剣の切つ先を左ふつこうにつきさした。

 激痛に愚生は奥歯をかみしめ中天をあほぎしんぎんする。

 そのまま愚生が銃剣を右側のふつこうへとすべらせてゆくと柔軟なる皮膚からかいれいなる血潮がながれだしふつこう内のぞうろつの圧力によつてえんえん長蛇たるかがやかしい大腸があふれでてきた。

 いんうんたる霊力をもつておういつにくたいはくどうとともにしゆんどうする大腸からはうつぼつたる湯気がでてゐたがようなことに感動するよりも愚生はみずからの皮膚をせつだんしたとうつうで断末魔のほうこうをしさうになり『たれがしかにさとられてはならぬ』とおもひなほして両手にちからをこめれいろうたる銃剣の切つ先を右側のろつこつへとむけた。

『これで終はりだ』と愚生はおもふ。

 愚生は上方へむけなほした銃剣の切つ先にて右側にのこつたかいなる大腸の一端をひとおもひにせつだんした。

 愚生の大腸は一端においてけつべつし左端が大地に蜷とぐろをまひて右端が愚生の右側のふつこうにのこつた。

 ようにしてかいした大腸の両端からそれぞれにくたいに消化されつつあつた悪臭ふんぷんたる食物があふれだしアーリントン墓地の大地をしんしよくしてゆく。

かれの墓を汚してはならぬ』とおもつた愚生は最後にして最期のちからで両手をのばし抱擁するかたちであいまみれの大腸と食物のかすをかきあつめた。

 ようにして愚生はまへのめりにたおしゆうえんをむかへた。

 愚生は最期におもつた。


『愚生の人生とはなんであつたのか』と――。

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