第3話

 奏は13歳の時に、筋疾患があると診断を受けた。年々筋力が衰え、数年後には歩けなくなるだろうと言われた。当初は在宅療養をする予定だったが、あることがきっかけで医療型障害児入所施設での長期入院をする運びとなった。


 筋力は徐々に弱まり、来年の春前には施設への入院をすることになるだろうと言われた。

 奏と暮らせる最後の長期休み。最後くらい彼女の行きたい場所へと連れていってあげたかった。


「お兄ちゃん、ごめんね」


 ベッドで目覚めた奏は、開口一番に俺にそう言った。


「謝ることはないさ。体調はどうだ?」

「バッチリ。でも、なんでだろう。いつもの様には身体に力が入らないな」


 やっぱり昨日今日と2日連続で歩かせたのは間違いだったか。俺は自責の念にかられた。

 

「ねえ、お兄ちゃん。私はもう動けなくなっちゃうのかな。もう遠くへは行けないかな」

「きっとまた行けるようになるさ。今はゆっくり休もう」

「うん。でもね、後もう一箇所だけ行きたいところがあるの。夏休みが終わる前には行っておきたいな」


 医者からは当分は遠出をしてはいけないと注意された。だから、奏の願いは叶えられそうにない。でも、それを彼女に言うのは流石に憚られる。


「どこに行きたいんだ?」

「山寺。山形県の宝珠山立石寺」


 山形県か。流石にここからでは遠すぎる。それに、今の奏の体調で山を歩くのは危険だ。

 

「どうしてそこに行きたいんだ?」

「……綺麗な絶景を見たいの」

「そこじゃないとダメなのか?」

「うん。山寺じゃないとダメ」


 しばらく沈黙が続く。

 どうにかして奏の願いを叶えてあげたい。でも、どうしたら奏を連れていってあげられるだろうか。俺は奏の願いを頭の中で反芻する。

 

「奏、山寺の絶景が見たいのか?」

「うん。山寺の綺麗な景色が見たい」

「いいことを思いついたんだけど、聞いてもらっていいか?」 


 奏は黙って頷いた。俺は頭の中にひらめいたアイデアを奏に話した。それを聞いた奏は弱りながらも満面の笑みを俺に向けてくれた。


 ****


「奏、聴こえるか?」


 一週間後。もろもろの準備を終えて俺は山形県宝珠山立石寺へと向かった。

 車を走らせること約8時間。深夜に出たにもかかわらず、着いた頃には日はすっかり頭上を照らしていた。


「うん、聴こえるよ」


 俺の声に奏が応答する。画面にもしっかりと彼女の姿が映っていた。

 自撮り棒にはめられたスマートフォン。今日の奏の身体となり、目となってくれる存在だ。


 あの日、俺は奏にビデオ通話での景色の眺めを提案した。俺のスマホと奏のスマホをビデオ通話で繋げることで奏に山寺の絶景を見せてあげようと思ったのだ。「絶景が見られるなら」と奏は承諾してくれた。


 耳にイヤホンを装着し、奏と連絡を取る。無事に通信が取れていることを確認できたところで俺はバッグを背負って歩き始めた。今日この日のために買っておいた『充電式バッグ』。バッグ下部にUSB挿し込み口が取り付けられており、そこからスマホを充電することができる。


 炎天下の中を長時間歩いていく。スマホの充電も俺の充電も逐一補給しながら、ゆっくりと景色を堪能する。深夜から起き続けていたためか、『寝不足』と『疲労』による強烈な眠気に襲われるが、なんとか我慢して歩いていった。


「どこかじっくり見たいところはあるか?」


 眠気を紛らわせるように向こう側にいる奏へと話しかける。

 自撮り棒にはめられたスマホはできる限り、俺の目線と合わせる。それから自分より少し前にやることで内カメラとなった奏のスマホから彼女の様子を見ていた。俺のスマホは外カメラとなっているため奏から俺の姿は見えない。


「今の石像の説明のところ見せて」


 奏に言われた通り人物像に刻まれた文字が見えるようにスマホを掲げる。

「ありがとう」と言われたところでスマホを再び目線に戻して歩き始めた。山寺は階段が多い。麓の山門から奥之院まで1015段もあると言われている階段を1段ずつ上がっていく。最近、運動をまともにしていないからか骨の折れる作業だった。


 それでも奏の願いを叶えるために必死に歩き続けた。


 そして、1015段を上り終え、奥之院を超えたさらに先、五大堂へと辿り着いた。

 木々に囲まれた家々。それらが向こう側にある山脈をかき分け、一本の道を作るかのように連なっている。純真な緑の茂る山は奥へ進むほど霧に霞み、薄くなっていく。最奥にある壁のように連なる山脈は圧巻だった。


「綺麗……ちゃんと写真に撮っておいたよ」


 景色に目を奪われていると奏の声で我に帰る。実は俺もバックグラウンドで写真を撮っていたが、それは内緒にしておこう。


「見れてよかったな」

「うん。お兄ちゃん、私の願いを叶えてくれて本当にありがとう。すごく嬉しい」


 奏はしみじみとそう言った。彼女の言葉に俺は心が熱くなった。熱は伝導し、目尻をも熱くしていく。眠気も疲労も何もかもが吹き飛んだ。今は奏の願いを叶えられた嬉しさだけがある。悪いものは全て涙となり、大量の雫が目からこぼれ落ちていった。


「よかった」

 

 平静を装って奏に言う。

 外カメラである自分のスマホに感謝した。

 泣きじゃくった自分の顔を奏に見られなくて良かった。

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