第2話

「キャッー!」


 上から降ってくる滝のような水を受け、奏は悲鳴を上げた。とは言っても、実際に受けたのはクルーズに建造された三角型のゴム製の屋根だ。屋根に流れた水は下に流れる水へと浸透していく。たまに、クルーズの手すりに当たった水が船内にいる俺たちへと飛んでくる。夏場の冷たい水は心地よかった。


 3日後、俺たちは予定通り『ヨーロッパ村』へとやってきていた。

 8月でも平日のためか、あまり人は見られなかった。そのため、アトラクションに乗る際の待ち時間は発生せず、俺たちは数多くのアトラクションを楽しむことができた。


『ハッピークルーズ』を終え、次のアトラクションへと歩いていく。

 最後にやってきたのは俺が中学生の時だったと思う。その頃の記憶がほとんどないため、全てのアトラクションが新鮮で楽しかった。


 逆に奏はよく覚えていた。「乗ったことあるアトラクションだ」だとか、「あの時はなかったアトラクションだ」だとか、各々俺に説明してくれる。大した記憶力だ。


 前を歩く奏の動きが不意に止まった。疑問に思いながら彼女の視線の先へと目を向けた。

 突如弾ける大きな水飛沫。高いところから一直線に急降下した丸太のボートが地面に当たった衝撃で上がったみたいだ。


 スプラッシュ・モンセラート。

 水の中を走るジェットコースターだ。


「あれに乗りたいのか?」


 奏の横につき、語りかける。彼女は俺の方にゆっくりと顔を向けると首を左右にふった。


「私、絶叫マシンは嫌いだからいいや」

「……そっか」

「うん。代わりにあそこに行こ!」


 そう言って指をさしたのは『キャンブロ劇場』。映画のようにスクリーンに映された映像を鑑賞するアトラクションだ。どうやら色々と乗って疲れたらしい。


 俺たちはキャンブロ劇場へと入っていった。

 キャンブロ劇場ではドラマやアニメなど全3作品の映像が用意されていた。奏にどれにするか尋ねたところ「全部」と返答された。


 席についてゆっくりしながら流れる映像へと目を凝らす。疲労が溜まっていたため眠ってしまうのではないかと不安だったが、内容が案外面白く飽きずに見ることができた。


「楽しかったね」


 全ての上演を終え、俺たちはアトラクションを後にした。


「途中寝てただろ」


 言い出しっぺの奏は俺よりは興味が薄かったのか途中小さな寝息を立てながら眠っていた。空調の効いた部屋が心地よかったのだろう。


「……そうだ、次は『アドベンチャーゾーン』へ行こう」


 俺の言葉がなかったかのように、奏は話をすり替える。なんて都合のいい妹なのだろう。しかし、そんな姿がまた微笑ましい。


「急だな。どうしてアドベンチャーゾーンに?」

「いやー、さっきのアニメで動物見てたら、実際の動物が見たくなっちゃって」

「なるほど。バイトは明日休みで、それから4連勤だから来週あたりでいいか?」

「うーん。できれば明日がいいかな?」

「2日連続は体力的にキツくないか?」

「なんとか頑張る」

「……分かったよ。その代わり今日はもう帰ろう」


 終園時間まで遊ぶつもりだったが、それでは帰るのが夜遅くなる。明日も出かけるのであれば、早いうちに帰ったほうがいいと思って奏に提案した。奏は嫌がることなく首を上下に振ってくれた。


 ****


「お兄ちゃん見て見て、キリンだよ」


 小さな汽車に揺られながら、俺たちは動物たちに囲まれた庭園を動いていた。

 雲行きが怪しかった今日だが、幸いにも雨は降らずただただ暗い雲が漂っているだけだった。そのため動物たちは住処に帰ることはなく、外を元気よく歩いている。


 奏は、顔を窓ガラスに近づけながらウキウキとした表情で動物たちを眺めていた。向かい側に座る俺は、動物を見ながらも、時おり奏の表情をチラッと見た。子供のように綺麗な瞳を輝かせる純真な彼女を愛おしく思った。


 30分かけてサファリゾーンを一周し、全ての動物を眺めた。

 これでアドベンチャーゾーンのスポットは全てまわった。あとはエントランスに戻って記念品を買うくらいか。


「ねえねえ、最後にあれ乗ろうよ!」


 二人で歩く最中、奏がそう言って遠くにある大きな物体を指さした。

 円型をした白色の物体。小さな円がいくつも集まり、ジェットコースターの天辺よりも大きな直径の円を描いていた。


「観覧車か。そうだね、最後に綺麗な景色を眺めてから帰ろうか」

「うん!」


 俺たちは足先を変え、観覧車のあるトライゾーンへと歩いていった。

 サファリゾーンの隣にあるトライゾーンへはすぐにたどり着いた。観覧車に乗る人は大勢いたが、列はそこまで長くはなく、およそ10分待った末に観覧車に乗ることができた。


 ゆっくりと遠回りをするように徐々に上がっていくゴンドラ。俺たち二人は汽車の時と同じように互いに向かい合って景色を眺めていた。高さが半分あたりを超えたところで色々なものが見え始める。俺たちは今日訪れたゾーンの場所を互いに指差しながら教え合った。


「ねえ、お兄ちゃん。ありがとうね」


 やがて俺たちを乗せたゴンドラは頂上へと到達していく。

 そこで奏はしみじみとした声で俺にそう言った。壮大な景色が観れるにも関わらず、奏は俺の方を見つめていた。


「何が?」

「みなまで言わせないでよ。とにかくありがとう」

「……どういたしまして」


 頂上に到達したゴンドラは今度はゆっくりと、遠回りするように地上に降りていく。

 前半はあんなにはしゃいでいたのに、後半はピッタリと会話をやめ、俺たちは静寂ながらも心地の良い時間を過ごした。


「ちょっとお手洗い行ってくるね」


 観覧車を降車すると、奏は一言置いてトイレのある方へとそそくさと歩いていった。「ゆっくりでいいぞ」と言ったが、奏は声が聞こえていないかのようにそそくさと歩く。もしかすると我慢の限界なのかもしれない。


 ベンチで休もうと辺りを見渡すとアイスクリームを売っているキッチンカーが目に止まった。奏が戻ってくる前にソフトクリームを用意しておこうとキッチンカーに向けて歩いていく。二人分のソフトクリームを注文し、それを両手に持ってベンチに座る。


「誰か! 救急車を呼んで!」


 ベンチで待っていると、不意に女性の大きな叫び声が聞こえてきた。

 視界は人々がトイレの方へと走っていく様子を捉えた。そこで俺は嫌な予感を覚えた。ベンチから立ち上がり、急いでトイレの方へと走っていく。


 途中で雨が降ってきて、持っていたソフトクリームを濡らしていく。ぽたぽたと溶けたクリームが手につくが、そんなことは一ミリも気にならなかった。

 人が密集するところへ辿り着くと、人混みをかき分け、中を覗いた。


「奏っ!」


 案の定だった。そこには倒れた奏の姿があった。

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