祝福と贄

「……ふう、死ぬかと思った」


 悔し紛れの軽口とは相反、久方ぶりに感じる本格的な死の痛みに思わず膝をつく。無人島で足を挫いたのとはわけが違う。血と熱が傷口から絶え間なく失われていくこの感覚は、死、そのものに他ならない。


 じくじくと滲み出すような火傷と裂傷が合わさった激痛に、恨みがましくブラハエルを睨み上げる。


 彼女は寸前のところで我を仕留め切れず、ゆっくりと体勢を立て直す。息ひとつ切らすことなく、我を見つめる金色の瞳はやはり何を考えているかわからない。


「神を受け入れることです、そうすれば楽になれます」


 怜悧としてそう言い放つこやつの攻撃は、まるで紙を破るように理不尽で、人間どもの神話に描かれる天使のような容赦も慈悲もない。


 しかし、それでも我は不死だ。そもそも、神が言うところの、死、という概念から逸脱している。まあ、たとえ死なずとも、この身体は美少女そのもので、この身体にちゃんとした痛覚がある限り痛いのは痛いのだがな。


 だが、これは。


 我はふと自身に付けられた傷を見る。


 いくらこのバ美肉ボディが人間の超絶美少女をモデルとしているとしても、魔界最高峰の技術が結集して作られた激カワボディだ。天界に来る前にもマッドサイエンティストどもの魔改造もとい、アップグレードはあったし、これくらいの傷ならばある程度の回復は出来ているはずだ。


 それなのに、ブラハエルにやられた傷は、なぜかこの最新鋭のバ美肉ボディの自己修復機能では回復しない。


「……猪口才な、まさしくこの傷は、死、というものに他ならないということか」


 死という概念すら殺す。死という概念ごと殺す。


 まさに、神やその御使いにのみ許される異次元の攻撃。あるいは、祝福、というべきか。


 殴り合い上等の物騒極まりないあの女神とは似ても似つかぬ、回りくどく、そして陰湿で確実な攻撃方法。


 何も役に立たぬと思われていたこのスーパーマイクロバッグが、フルオートで概念による死を上書きし続けていなければ、我はとっくに17分割されていることだろう。傷の回復もこのバッグによるものだ。こんなん、明らかにメタらなきゃ初見殺しもいいところだ。


 アンフェルティアが言っていた、我を殺せる、というのはこのことだろうか。


 確かにこれならば、我を滅することはできるだろう。


 いや、しかし、あの生粋の負けず嫌いのあんちくしょうがこんなやり方で満足するだろうか。我をボコボコにして、土下座した我の頭を足蹴にして初めて、あやつは、完全勝利! と拳を高く突き上げるのではないか。よく考えたらスゲームカつくな。


 神の祝福、とはなんだ。


 死という概念を超越した攻撃。


 そして、他のアンフェルティアが創造した天使とは異なる設計思想と概念機構。


 もしかして……


 そこで我は、一つの可能性に辿り着く。


「こやつは、アンフェルティア製の天使ではないのか?」


 そう考えればすべて合点がいってしまう。


 感情のない機械のような姿。


 概念死、という攻撃方法。


 そして、基本的に放任主義のあやつには不似合いな、神の祝福、という御名。


 しかし、それでは、あやつの御姿をほとんど完璧に模倣しているのはなぜだ。


 他の神が造ったならばその姿はそやつを模倣するのではなかろうか。神とかいう見栄っ張りは総じてそうだろうと思っていたのだが。


 これではまるで、アンフェルティアさえも何者かによる被造物だと思えてしまうではないか。


 あやつこそ、この世界における全能にして唯一神ではないのか。


 クソ、ふんわりした世界観だけ提示しおって。後付け設定はやめろよ、なんか色々考察してくれている者が(はたしてそんな物好きがいるかどうかはさておき、)萎えちゃうやろがい。


「やい、ブラハエル、貴様を造ったのは誰だ?」


 こうなってしまえばもはや直接当人に聞く方が手っ取り早い。ようやく傷が癒えて、なんとか立ち上がる。それでも、まだ完全には治ってないし、ゴスロリドレスもボロボロになってしまった。着替えも用意すべきだったか。


「それは検閲対象です」


「む、開示可能な情報が制限されているのか、このポンコツめ」


 初めて会話が成り立ったな。なんだ、こやつ、ちゃんと会話できるじゃないか。


 しかし、なんとなくわかった。


 やはり、こやつを造ったのはアンフェルティアではない。あの超絶目立ちたがりのお調子者が、最高傑作と豪語したブラハエルから製造者である自身の名を消すとは思えぬからだ。むしろ積極的に自身の名を名乗らせに行くまでやりそうだしな。


「ブラハエル、貴様は」


「う、うおおおお、お覚悟ぉ!!」


 我がさらに問おうと思ったその瞬間。


 ブラハエルの背後から、我が投げ捨てた槍を奴の腹のど真ん中に突き穿つサクリエル。


 その衝撃にのけ反りながらも、ブラハエルはぎぎぎっとゆっくり頭をサクリエルの方に向けると、さっきよりもずっと機械じみた不自然な気ごちなさで口を動かした。


「サクリエル、貴女の贖罪はまだ」


「小生は、わ、わたしは……」


 どうしてか、ブラハエルを貫いたはずのサクリエルの方が動揺している。槍を持つ手ががたがたと震えているのは、ただ単にその重厚な槍が重いだけではないのだろう。


 サクリエルは自身の罪とやらを自覚している。


 だからこそ、こやつは天界に行くことも、神に相まみえることも拒否したのだ。


 天界から、神の元から逃げ出して、そして、悪魔へと堕ちた。自身の罪とも向き合えぬとはなんとも情けない。


 しかし、そんなことは我には関係ない。


「ようやく動きを止めたな」


 まずはこっちからだ。


 腹部からバチバチと火花を散らすブラハエルの懐に飛び込む。我の影がぬるりと蠢き、無数の刃がブラハエルの身体を容易く刺し貫く。この小剣は影の黒さによって強さを変える。サクリエルに刺し貫かれたブラハエルには今までなかったはずの影ができた。つまり、ブラハエルの影と合わさって大きくなった我の影は小剣をブラハエルに突き刺せる。


「光あるところに影がある。天界ではそうではないかもしれぬが、地上はそうなのだ。貴様はそれを失念していたな」


 ブラハエルは無数の漆黒の刃と腹部の巨大な槍で身動きが取れないまま我を見上げた。その無機質な眼差しは果てしなく透き通り、まるで我が心の底まで見透かされているようで居心地が悪かった。


「おい、ブラハエル、貴様はどうして神を裏切った。それは貴様の機能とは相反するのではないか?」


「ヘラ氏、ブラハエルはもう……」


 その機能はもうすでに全て停止していた。瞳の無機質な輝きは失われ、我の方を向いたまま目を見開いて静止し続けるその様は、不愉快で出来損ないの気味の悪いオブジェのようだった。


 タイトルを付けるならばきっと、天使の死。


 肝心なことを聞きそびれてしまった。しかし、突然のボス戦だったのだ、生かさず殺さず、というのはさすがに無理だった。


「……小生はなんとなくわかるかもしれないでござる」


 息苦しそうに、寂しそうに、そして、悲痛に。

そっと自身に言い聞かせるようにそう呟くと、サクリエルは槍を静かに引き抜く。


 ブラハエルの身体は影では支えきれず、ぐしゃりと地面に落ちた。その様はあたかも支えを失った人形が転がったようにしか思えず、あまりにも精巧な神の御写しの最期の姿にぞっとしてしまう。


 きっとサクリエルはその憐憫の情を我には教えてくれないだろう。そして、我から問うこともない。それは当人が自身の力で見出すべきことだからな。

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