第148話 衝突①

◆衝突


 ようやく体を自由に動かせるようになった時には、既に事が終わっていた。

 だが、市村小枝子は、死んだわけではない。よろりと起き上った。

「はあっ、はあっ」と苦しそうな呼吸を繰り返している。

「市村さん!」

 俺の声は届いていない。

 頭の中を様々な思いが過った。まずは、この事態の収拾だ。騒ぎは院内だけでは収まらない。警察も呼ばねばならない事態だ。

 だが、俺の気持ちをよそに、若い看護師が、「お漏らしですか」とぶつぶつ言いながら、床を拭き始めた。

 そんな小言を言われても市村小枝子には届かない。もちろん、俺のことも見てはいない。

 その顔面は注射器のような指で数か所を刺されたせいで血だらけだ。

 彼女にあるのは恐怖だけだった。恐怖が頭を支配していた。

「ひっ、ひいいっ!」と悲鳴を上げ、

 彼女はこう言った。

「こ、殺される・・芙美子に殺されるっ!」

 そう言ったかと思うと、後ろ手にドアノブを回し、ドアを開け、転がるようにして廊下へ飛び出た。

「・・まだ殺しはしないわ」

 市村小枝子の跡を追うように芙美子の声が聞こえた。


 市村小枝子のあの様子では歩くこともままならないだろう。

 廊下では、別の看護師たちの悲鳴が聞こえた。彼女のただならぬ様子に驚いたようだ。

 俺は、市村小枝子の後を追おうと廊下へ出たが、すでに彼女の姿は無かった。どこにそんな力が残っていたのか。

 すると、

「中谷さん・・あの人、バックをお忘れですよ」

 どうして年配の看護師が俺の名を知っているか分からないが、その手には市村小枝子のハンドバッグがある。

 手は元に戻ってはいるが、二人はまだ芙美子が憑依したままなのだろうか?

「俺が持っていきます」と言ってバックを受け取った。

 市村小枝子の行先は、駐車場しかない。院内の人に引き留められれば別だが、あの様子の彼女に声をかける者がどれくらいいるだろうか。

 だが、バッグを届ける必要はなかったのかもしれない。


「あら、さっきの女の人、もう駐車場に出ているわ」

 若い看護師が、俺を呼び止めるように言った。

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