第147話 注射③

「市村さん。お注射の時間ですよ~」

 若い看護師は子供のまま事のように言うと、10本の指を市村小枝子の頭から引き抜いた。

 市村小枝子は、看護師の指から解放されても、白目を剥いたまま、口をあんぐりと開けっぱなしだ。

 看護師は続けて「今から、お注射を打ちますねえ」と言って、子供に打つように「痛くないからね」とは言わず、

「きっと痛いですよ~」と薄気味悪い笑みを浮かべた。


 さっきから、カチャカチャと音がしていた原因が分かった。

 あれは注射の準備の音だ。

 先ほど、年配の看護師が「はやく注射を!」言っていたのはこの事だったのだ。

 その証拠に、若い看護師の指先は、通常の人間の指ではなかった。

 若い看護師の長い指先の先端が、注射器の針のように尖がっている。指が注射器を取り込んでいるのだ。

 注射器の数は、10本だ。

 しかも関節の部分は、半透明になっていて、指の中に異様な色の液体が流れているのが見えた。


 10本の細長い注射器が、市村小枝子の頭にズブリと差し込まれた。

「あひっ!」市村小枝子の条件反射のような悲鳴が上がり、頭がカクンカクンと揺さぶられた。

 同時に、頭の十か所から、シューッと血が勢いよく噴き出て、白い壁に飛び散った。

「市村さん、どうですか、痛いですか?」

 市村小枝子が応えるはずもない。頭をガクガクと頷くように振るだけだ。

「もっと痛くしましょうねえ」看護師が楽しげに言った。


 看護師の注射器と化した指が、ドクンドクンと脈打つように波打っている。ポンプのように何かの液体を、市村小枝子の中に送り込んでいる。

 同時に、顔面が薄紫色に変色していった。まるで毒を注射されたかのようだ。

 若い看護師は、その様子を確認しながら笑っている。自分の施術の出来ばえを楽しんでいるのかもしれない。

 目の錯覚なのか、若い看護師の髪が長くなっている。その長い髪が左右に広がり、ざわざわとうごめいている。

 芙美子の髪だ。芙美子は若い看護師の体と注射器を取り込んでいるのだ。


 しばらくすると、市村小枝子の血走った眼球が飛び出たように突き出てきた。そのままポロリと落ちるのではないかと思われるくらい出ている。

「おっ、おっ、おっ」

 市村小枝子は、顔を天井に向けて、口を大きく開け、断続的な声を上げた。毒が体全体に回り込んでいるせいかもしれない。最初は腰をひねらせ抵抗を試みていたが、もうその動きもない。

 じゅっ、じゅっ、と異様な音がしている。焦げ臭い匂いが漂ってきた。

 匂いの原因は、市村小枝子の足首だ。

 年配の看護師の長い指に掴まれた足が、真っ赤に変色し、煙を噴いている。


「芙美子、もうやめてくれ! お義母さんが死んでしまうっ」

 俺は何度かそう言ったが、今回ばかりは聞き入れてくれそうにない。動かせない体がもどかしい。


 仰向いた市村小枝子の開け放たれた口から、ブクブクと泡が噴き出してきた。呼吸も苦しそうだ。

 更に今度は俯いたかと思うと、胃の中のものを「うげえっ」と嘔吐し始めた。吐瀉物が辺りに散った。

 だが、胃の内容物は通常のものではない。

 これは、泥だ・・泥と胃液が混じっている。俺も胃の中のものを戻しそうになった。


 すると、

 若い看護師が役目を終えたかのようにパッと両手を離した。既に手は元の状態に戻っている。

「ヤマダ先輩、私、ちゃんと注射が出来ましたよ~」と年配の看護師に報告するように言った。

「そうね、ミタニさん。よくできたわ」

 と言って、年配の看護師は足を持っていなくても、もう大丈夫だと判断したのか、すっくと起き上った。

 次に何をするかと思えば、

 先輩看護師は、市村小枝子の正面に回り込み、ドカッと腹部に蹴りを入れた。

「んげえっ」と苦しそうな声を上げ、市村小枝子は、ドアにぶち当たり、そのままずるずると背中をドアに擦るようにして沈んだ。

 綺麗な両脚が大の字に開かれ、おそらく失禁したのだろう。黄色い液体が床に流れ出した。白色のスカートが血と尿と何かの液体で汚れている。

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