第132話 死者の想い②

 古田は続けて、

「以前、つき合っておられたのなら、その安否は気になって当然ですな」と言った。

 何か引っかかる言葉だが、俺の考え過ぎかもしれない。

 俺は、「とりあえず、この住所の所に行って、芙美子の母親に会ってくるよ」と言った。

 これで話が終わりだと思っていると、コーヒーを飲み終えた古田は、

「中谷さん、私が病院の院長と仲がいいことは前にもお話しましたな」と言った。

「初めて会った時に聞いている」

 あの時、古田はこう言っていた。

「院長は病院では抱えきれない問題を、外の人間を使って調べているんですよ。何の関係もないような事柄が、実は患者の症状と繋がっていることもある。院長はいつもそう言っています」

 その時は、意味不明の話だったが、今は少し気になる。


「どういうことなのか、分からない。院長は何を調べているんだ?」

 古田はコーヒーを啜った後、「中谷さん、その話の前に」と強く前置きし、

「中谷さんは、死者・・つまり、死んだ人間と生きている人間のどちらが大切ですかな?」と訊いた。

「そんなの、生きている人間に決まっているじゃないか」と俺は即答した。

 すると、古田は、

「やはり、普通はそう思いますよね」と微笑んだ。

 おかしなことを訊く奴だな。

「別にどっちが大事だとか、そんな問題よりも、亡くなった人間にはそれなりの敬意を払っているし、命日や盆など、そのために種々の法事がある」と俺が言うと、

 古田は、「そういう仕来たりの話ではなく、死者の気持ちの話ですよ」と返した。

 死者の気持ち?

 店内のBGMが荘厳なクラシックに変わった。店内は他に客もいない。マスターとウェイトレスの加藤さんは厨房で黙々と作業をしている。

 外は、霧のような雨がまだ続いている。あまりに雨の粒子が細かく、店内にまで降り込んでくるではないかと思った。

 目の前の古田の額が濡れているのは、脂汗ではなく、細かな雨の粒子なのではないだろうか、とさえも思った。


「古田さん、申し訳ないが、話が見えてこない」と俺が言うと、

「こんな話をするのも、院長の受け売りなんですがね」古田は笑った後、

「中谷さんだったら、こんな話を聞いてくれそうだな、と思ったんですよ」と言った。

「聞くのは嫌いではないが、よくわからない話だ」と俺は返した。

 すると古田は、俺が話を聞く体勢になったと思ったのか、

「死んだ人間が、今どこでどうしているか? なんてことは考えたことはありますか?」と訊いた、

「ない・・天国で安らかに眠っている。そう思っている」と俺は言った。

 おそらく、夭折した姉もそうだろう。

それに、芙美子は死んでおらず、生きていた。


 だが古田はお構いなしに饒舌に話し続けた。

「今にも死にそうな瀕死の人間や、病に臥せっている人間に対しては、皆、こう言いますよね・・『がんばれ』と」

 俺は黙って聞いた。

「死んではいけない、頑張って生きるんだ・・そう言います。頑張って死になさい、とは誰も言わない。もう死が決定している人にもそうは言わないものです」

 古田はそう言って、水を飲んだ。

「それもさっき言ったように当たり前だ。ごく普通の感情だ」俺はそう返した。

 古田は改めて俺の目を見て、

「けれど、人間は死んでしまった後では、何もできないのですよ。もう頑張ろうにも頑張れない」と言った。

 それも当たり前だ。死者は何か考えようにもその意識、心がない。心があった体が失われているからだ。

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