第110話 面影

◆面影


「いつも、ジムで二人一緒なのは、もうそれほど、わだかまりがないからですか?」と、俺が訊ねると、

「ええっ、いつもって、そんなに二人一緒ではないですよ。中谷さんにお会いした時、あれって、たまたまですよ」と遠山さんは大きく笑って返した。

 その笑顔を壊すかのように、俺は、

「片倉さんのご主人は、浮気してますよね?」俺の妻と・・

 俺は別の角度から片倉夫妻のことを切り出した。


「えっ、そうなんですか? 片倉さん本人じゃなくて、ご主人が?」遠山さんは目を丸くして、今、初めて聞いたように驚きの表情を見せた。

 余計なことを言ったかな? この場に相応しくない話題だったかもしれない。

 遠山さんは、「御主人には何度か会ってますけど」と言って「あのひとが・・」と小さく言った。

 そして、

「私は、不倫なら、奥さんの方だと思いましたわ」と微笑んだ。

「どうしてですか?」

「だって、片倉さん、男の人にモテますし、ジムでも目を付けている人も何人かいるそうですよ」遠山みどりはそう言った。

「でしょうね」

 片倉女史の容姿なら、まず男の目を惹くし、

 だからと言って、片倉さんより遠山みどりの容姿が見劣りするわけではない。

 二人は同等の魅力があると思っている。例えて言うなら、動と静だろうか。


「遠山さんも、男性にモテると思いますよ」俺は軽く言った。

「えっ・・」

 遠山さんの戸惑うような表情に、少し気まずくなった俺は、

「スポーツクラブ、行くようにしますよ」と明るく言った。

 俺の言葉を受けて、遠山さんの顔が明るくなった。

「時間帯も同じようですから、またお会いできますね」

 俺も同じように笑顔を返したが、彼女は俺と会って嬉しいのだろうか?

 俺は妻帯者だし、面白くも何ともない男だ。仕事も妻の親の縁故で入ることのできた会社だし、特に話も面白くない。

 まあ、いい。好意は大事に受け取る。


「雨・・止んだようですね」

 遠山みどりは、窓の外に目をやった。

 その横顔を見て、ドキリとした。

 また、遠山みどりの横顔が亡くなった姉に見えたのだ。髪も前より伸びて、より面影が重ねられる。

 いや、おそらく、気のせいだ。そう否定しても、

 遠山さんの横顔を見ながら思っていた。

 彼女になら・・姉の面影を重ねてしまう遠山みどりになら、打ち明けてもいいのではないか? 俺の周囲の異常現象を全て話してもいいのではないか。そんな気持ちが沸くのを感じていた。

 彼女なら、俺の一切の出来事を受け止めてくれるような気がした。


「中谷さん」

「え?」

「中谷さん」再び遠山みどりの声。

 考え事をしていて、遠山さんが呼んでいたのに気づかなかった。

「何ですか?」俺が訊ねると、

「中谷さん、お電話が・・」

「電話?」

「携帯電話が鳴っていますわ」

 鞄の中で携帯の着信音が大きく鳴っていた。

 何ということだ。自分にかかってきた電話を第三者に指摘されるなんて、初めてのことだ。それほど俺は、ぼーっとして遠山みどりの姿に魅入っていたというのか。

 ディスプレイを見ると、何でも屋の「古田」だった。おそらく、芙美子の入院先が分かったのだ。

 俺は遠山さんに断り、電話を受けた。


「中谷さんですか?」

 中年のがさついた声が耳に届いた。「ええ」と答えると、

「古田です」と言って、古田は大きくこう言った。

「市村さん・・市村芙美子さんの居場所が分かりましたよ」

「本当ですか! どこですか?」

 思わず大きな声を出した。

「神戸の甲南病院ですよ。そこに入院されています」

「甲南病院!」

 すぐ、近くじゃないか。心臓の鼓動が高まり、同時に目の前が開けたように感じた。

「古田さん。今は知り合いと一緒にいるので、後でまた掛け直します」

 俺は一旦電話を切り、大きく息を吐いた。喜びと不安が混ざった感情が俺の中を駆け抜けていくのが分かった。

 妙な安心と、これから先の不安だ。芙美子が病院にいる。

それはどんな状態なのだ。意識はあるのか? 意識が無ければ、赤の他人の俺が見舞いに訪れるというわけにもいかないだろう。


 俺の表情を伺いながら、遠山みどりが、

「電話、途中でよかったのですか?」と訊ねた。

「ええ、また後でかけ直すので」

 俺はそう言って、「そろそろ、行きましょうか? 雨も上がったことですし」

 遠山さんは、外を見ながら身づくろいを始めた。

 彼女を見ながら、遠山さんは一人暮らしなのだろうか。子供とかいないのか? 訊いたりするのは失礼なのだろうか、と思っていると、

「帰っても、一人なんですけどね」と微笑んだ。

 一人暮らしなのか・・と思いながら勘定書に手を伸ばすと、「お誘いしたのは私ですから」とさっと引き上げた。

 店を出ると彼女とは別れる。家の方向が別だ。

 別れ際、遠山さんは突然、妙な事を口にした。

「私、遠い昔、中谷さんに、お会いしたことがあるような気がするんです」

「え・・」

「こんなことを言うのは変ですよね」

 そう言って遠山さんは頬を赤らめ、「決して中谷さんの気を引こうとか、そういう意味で言っているんじゃないんですよ」と笑った。そして、「今、言ったことは気にしないでくださいね」と言ってサヨナラを告げた。

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