第107話 妻が見たもの①

◆妻が見たもの


 いっそのこと、ここで片倉さんに電話をしてみるか?

 片倉女史に写真を見せてもらったことを言えばいい。何なら三者面談でも・・

 俺は、テーブルの携帯電話に手を伸ばした。電話が一番手っ取り早い。何なら、彼女から妻に話してもらうのもいい。

 俺は携帯電話のアドレス帳を開いた。

 すると、妻が、

「片倉さんに電話をするの?」と言った。

 俺は電話を耳に当てながら、「そうだ」と応え、何気なく妻を見ると、その顔はなぜか笑っているように見えた。

 電話の呼び出し音を聞きながら、

「何がおかしい?」と言った。

「いえ、何でもありませんわ」

 やはり、笑っている。そして、妻が小さな声で「ばかみたい」と言ったのが聞こえた。確かに聞こえた。

「もしもし・・」受話口から片倉さんの声が聞こえた。「中谷さん?」


 その時だ。

「ひいっ!」

 妻が両手で口元をふさぐようにして目を見開いていた。

 今度は、いったい何だ? 

「あ、あなた・・うしろ・・」

 妻が片方の手を差し出し、俺を指差した。

「俺の顔に何か、付いているのか」

 そんなに俺は顔色が悪いのか?

 いや、違う。今、妻は、「うしろ」と言った。

 俺は背後の壁を見た。だが、そこには壁に掛けられた西洋絵画以外には何もない。

「誰なのよっ!」

 妻が叫んだ。

「おいっ、そんな大きな声を出したら、裕美が降りてくるぞ」

「中谷さん・・」と呼び続ける片倉さんの声に、「あとでかけ直す」と言って、携帯を切った。

「あなたには、見えないのっ?」

 妻の声が震えている。恐怖の形相だ。こんな妻の顔を見るのは初めてのことだ。両目がこれ以上ないというくらいに見開かれている。


「だから、何がだ?」

「あなたの後ろ・・いえ、頭の上に、お、女の人がいるわ」

 頭の上? 女? 俺は真上を見た。

「白い服の女の人が、天井から、ぶら下がっているのよっ!」

「ぶら下がっているだと?」

「髪の長い女よ!」

 髪の長い女だと?・・まさか、芙美子が部屋の中に。

 だが、どうして俺には見えないんだ?

 そう思った瞬間、俺の肩に冷たいものが当たった気がした。あの洞窟で感じた冷気と同じ・・これは霊魂の温度だ。

 

「み、芙美子なのか?」

 俺はぐるりと頭を回して言った。芙美子がどこにいるのか分からない。壁を見て言えばいいのか、それとも天井を見上げるべきなのか。

「あなた、一体何を言っているのよっ! 頭がおかしくなったの?」

 芙美子と妻の美智子は同じ発音だ。名前を呼ぶとおかしな具合になる。


「ねえ、あなた。この人、いったい誰なの?」

 妻が俺に訊いた。俺には見えていないから答えようがない。

「これって・・ゆ、幽霊なの?」

 妻が怯えた声で言った。そして、こう言った。

「この女の顔・・見たことがあるわ」妻が目を細めて言った。


 芙美子と付き合う前の女性に、言われたことがある。

「中谷くんといると、楽しいんだけど」と言って、

 彼女はこう言った。

「中谷くんと一緒にいると、誰かに見られているような気がするの」


「ひいいっ!」

 何かを感じたのか、妻はありったけの声で叫んだ。

 すると、二階から裕美が勢いよく降りてきた。

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