第99話 車中にて④

 俺の動揺に対して、片倉麗子は、自分の夫の不倫を全く気にしていない様子だ。むしろこの状態を楽しんでいるようにも見える。

 それはそうかもしれない。

 俺と片倉麗子の置かれている状況は似て非なるものだ。

 片倉麗子は、夫の不貞に慣れっこで、しかも別居中。

 俺は同居の上に、たった今知らされたばかりだ。

 それに、片倉麗子に子供がいるのかどうかは知らないが、俺の方には、妻の連れ子の裕美がいる。

 裕美に不幸を背負わせたくない。

 今まで口を利かなかった娘だが、この数日間で裕美に対する気持ちが大きく変わっていた。

 俺が裕美を守らなければならない。

 だが、もし妻と別れるようなことになれば、妻は裕美を連れていく可能性が高い。当たり前だ。実子なのだから。

 様々な思考が頭を巡った。整理がつかない。


「話はそれだけか?」

 俺は暇を告げるようにきっぱり言うと、

「ええ、そうよ」と片倉麗子は答えた。

「この話、どうして、俺に言った?」

 他にも取るべき方法はあったはずだ。俺に言ったところで、話がドロドロの展開を見せるだけだ。

「さあ、どうしてかしらね?」そう言って片倉麗子は艶やかな笑みを浮かべた。

 特に理由もないのか、それとも、

俺に、「私たちも、いい仲になりましょう」と誘っているのか、

 そう想像できないこともない。

「中谷さんに興味があった・・そういうことかしら?」

 片倉麗子は品を作りながら言った。

 確かに、片倉麗子の色香は、幾多の女性を凌駕するものがある。プロポーションもいいし、その面立ちもいい。

 だが、どことなく品がない。今まで俺が接してこなかったタイプの女だ。

 それに、俺の好みをあえて言うなら、どことなく陰のある遠山みどりの方がよほどタイプだ。

 片倉麗子は「興味がある、と言ったのは冗談よ」と言って、

「何となく、中谷さんには言わなくちゃ・・そう思ったのよ」と続けた。

 そして、

「別に、主人に浮気をされた腹いせに、あなたといい仲になろうとか、少なくともそんなことは考えていないわよ。だから、安心して」

 どうと言うことのない会話かもしれない。だが、彼女が言うと、どことなく艶を帯びてしまう。

 片倉麗子は、平素より、男とこんな会話をしているのだろうか? その会話も身のこなしもどことなく色香がついて回る。

 相手にすり寄るように、接近してきたかと思うと、すっと引いていく。つまり、相手を翻弄させている。

 長く閉め切った空間にいるせいか、辺りの空気、その全てが片倉麗子のものであるかのように感じた。一種の催眠効果のようだ。

 仮に、更に彼女が急接近をしてきたら、心を制御できるかどうか自信がない。

 もし本当に、俺が彼女の誘いに乗ってしまったら、

 ・・まずいことになるかもしれない。

 俺は、フロントガラスの夜景の中に映り込む自分の姿を見ながらそう思った。


 だが、俺の不安をよそに片倉麗子は、

「こんなことを言って、中谷さんに失礼かもしれないけれど」と前置きし、

「中谷さんといると、誰かに見られているような気がするの」と言った。

 その言葉は過去にも言われている。芙美子とつき合う前の女が同じことを言っていた。

「中谷くんと一緒にいると、誰かに見られているような気がするの」


 そして、俺には、もう一つ知らなければならないことがある。

 芙美子のいる場所だ。

 洞窟付近であった老人の話を信用するとするならば、芙美子は生きているはずだ。

 これまでの芙美子にまつわる怪異現象は、芙美子の生霊の仕業だ。

 ならば、その芙美子は何処にいるのか?

 芙美子の居場所は・・あの男が知っているはずだ。

 古田という男が・・


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