第98話 車中にて③

 同時に、片倉麗子は、他の人間ともここで密談をしているのだろうな、と良からぬ想像もした。

 ただ、この狭い空間と静けさだ。高級車と言えど、体は自由に動かせないし、こちらの心臓の鼓動も伝わるような気さえする。

 片倉麗子の息遣いも聞こえるし、彼女が体を少し動かす度に、女の匂いが流れてくる。

 更に気になるのは、タイトなミニスカートから伸びているムッチリした太股だ。目のやり場に困る。


 片倉麗子はサイドブレーキを踏むと、俺の顔を直視し、

「中谷さん、奥さんの管理が行き届いていないようね」

 いきなりそう言った。

「失礼な!」と俺が抗議しようとすると、彼女は再び、眼前の景色に目を移し、

「・・私もだけどね」と言って自嘲的に笑った。

 そして、片倉麗子が話し始めたのは、妻のことだった。

 ある程度は予想はしていたが、片倉麗子の口から聞くことになるとは思わなかった。

 それも妻が誰かといるところを片倉麗子が目撃したのだとばかり思っていたが、話は違った。

「夫とは、ずいぶん前から別居しているのだけれど、中谷さんの奥さんにまで手を出していたなんて、全く・・灯台もと暗しとはこのことね」

 妻の不倫の相手は、よりによって、片倉麗子の夫だった。

 奥さんにまで・・片倉麗子はそう言った。

 ということは、その男には、他にも相手が複数いるということだろうか?

 いずれにせよ、会ったことはないが、彼女の贅沢極まりない様子を見る限り、同じような人種だと想像できる。ろくな男ではないだろう。

 そのような人間と妻が不倫をしているなど、到底信じられない。何かの間違いであって欲しいと願うばかりだ。

 そうでないと、何かが起こる。悪い予感がするばかりだ。

 

 続けて聞いた片倉麗子の話によると、元々、片倉夫妻の仲は壊れていたらしい。

 双方とも離婚する気で、別居が続いていたが、彼女の方は、できるだけ慰謝料が多くなるように、夫に不利な情報を集めていた。

 片倉麗子が夫の浮気に気づいたのは、彼女のビジネス仲間からの報告だった。

 何と、男には、独身女性が二人、既婚者が二人もいた。どれほど深い関係なのかは分からないが、そのうちの一人が、俺の妻だったということだ。

 探偵に写真も撮らせていたから間違いない、と片倉麗子は強く言った。

「写真を見る?」

 片倉麗子はバックの中から携帯を取り出した。

 見たくない。断ろうと思ったが、既に彼女は、画面を見せていた。

 探偵特有の男女の写真の構図だった。ドラマの中でしか見たことがないような写真だ。

 写真は一枚だけではない。片倉麗子は次ページへと、写真をスライドさせた。

「もういい!」

 俺は片倉麗子の指を止めた。

 うんざりだ。

 しかも、写真の日付が、裕美と洞窟ドライブをした日だ。

気が動転しながらも俺は思った。

・・これが、俺の選んだ人生の結末だ。


 学生時代、俺は洞窟で芙美子を捨てた。あれほど、俺を思ってくれていた芙美子を洞窟に置き去りにした。

 その時の俺は、既に大学の教授のすすめる縁談話に人生の進路を向けていた。

 だが、妻の美智子は、二度目の結婚で、娘の裕美がいた。話が進み出した頃に知らされたのだ。引き返すことができなかった。

 随分と間抜けな話だが、もっと俺が知るべきだったのは、

 前の夫との離婚の理由だった。

 人間というものは、都合の悪いことから目をそむけるものなのかもしれない。

 離婚の理由が不貞だったとしても、それは、妻のせいではない。

 きっと、夫の方が不貞を働いたのだ。そう思い込もうとしていた。だが、事実はそう簡単にねじ曲げられるものではない。


 片倉麗子は、携帯をバックに戻すと、

「離婚原因・・奥さんの浮気が原因だったんですってね」と言った。

 俺は黙っていた。確かにそうだが、それに関しては、俺たちの問題だ。他人に言われる筋合いはない。

 だが、俺の気持ちをよそに片倉麗子は話を続けた。

「これは誰かが、言っていたのだけれど・・」と前置きし、

「いつも、奥さんの貞淑ぶりには騙される」と言った。

 誰が言ったのかは片倉麗子は言わなかったが、

 確かに妻はそんな風に見えない。だから、遠山みどりから聞いた時も、裕美の香水の話も、聞き流していたのだ。

 浮気の時間帯は、裕美が学校から帰ってくるまでの間だろう。全くそんな感じはしなかった。

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