第96話 車中にて①

◆車中にて


 あれから、日々の生活が目まぐるしく移り変わっていった。

 変化したのは、会社での俺の位置だった。

 重体で入院していた経理部の花田課長が亡くなったのだ。丁度、俺と裕美が洞窟に出向いていた時間だ。

 その日の夜、総務課員の藤田さんから電話が入り、続けて経理部長から電話があった。

 予め、藤田さんから花田課長の容態は聞いていた。そして、藤田さんが、課長の奥さんから聞いた話も聞いている。

 入院先の病室の壁に大きな影・・つまり、花田課長の体を無残に破壊したパワーショベルの影が映っていた、ということだ。

 生きているのが不思議だったらしい。それは近藤の場合も同じだった。

 課長の葬儀は身内だけの家族葬だった。と言っても、経理部長や総務の藤田さんが香典を持っていく名目で手伝いをした。

 そして、経理課長の長期不在、そして、亡くなったこともあり、俺に課長代理の辞令が下った。あくまでも応急措置としての人事だが、出世であることに変わりはない。給与の手当ても増えた。

 課長までの時間はまだまだだが、代理と言えども、予定より早いコースだ。

 その裏で、妻の父の力が働いていた可能性もある。

 妻に訊いてもいいのだが、訊く気が失せていた。

 何故なら、あれから、わが家の状況は、大きく変わってしまったからだ。


 やはり、裕美の勘の通り、妻は浮気をしていたようだ。

 心のどこかで、そうではないことを祈っていた。もし、不倫が現実であれば、これまでそうであったように、芙美子による力が作用し、被害者が生まれる。

 妻、あるいは、相手の男に何らかの事が起きる。

 男の方なら、騒ぐほどのことでもないだろう。だが、妻は家族だ。

 同時に裕美の実の母親だ。妻に悪いことが起こってはならない。


 だが、物事は不安通りに展開していくようだ。

 裕美との洞窟行きで「帰りが遅くなる」と妻に電話をした際に微妙に感じ取っていた。

 裕美には言わなかったが、妻の口調に違和感を感じていた。少なくとも自宅や買い物に出ている雰囲気ではなかった。

 俺以上に裕美が気づいていた。

 洞窟へドライブに行くと決めた時にも、「お母さんは行かないわよね」と言っていた。

 更に、「お母さん、のんびりできるもんね」と何かを示唆するように言った。

 裕美の言葉に妻は、「ええ、私は遠慮しておくわ。用事もあるし」と応えた。

 その時の裕美の顔を鮮明に憶えている。

 裕美は、妻の顔をチラと見て、あざ笑うような顔をしていた。

 あの時の裕美の顔の不気味さは、「だって、香水が変わったから」と言った裕美とは別のような気がする。

 あざ笑うような顔の方の裕美は、芙美子だ。

 ・・おそらく芙美子は妻の浮気を知っていたのだ。

 芙美子は、俺に何度かシグナルを送っていた。会社帰りに、遠山みどりとお茶をするように仕向けたのも芙美子だろう。

 遠山みどりは、妻を六甲で見かけた、と俺に言った。

 香水の件などを裕美に気づくようにさせていたのも芙美子のような気がする。

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