第93話 病院の思い出①
◆病院の思い出
「そ、それで・・その後、その女性は、どうなったんですか?」
詰め寄るように言うと、老人は俺の勢いに後ずさった。
「ちょっと、お父さん、落ち着いてよ。顔が怖い」
裕美が制するように言った。裕美の言う通り、周りが見えなくなっていたようだ。
老人は、「わしも詳しいことは知らないが、確か・・」と言って、
「その子は、生きておったそうじゃが、意識はなかったと聞いたがな」と続けた。
意識がない?
更に老人は思い出したように、
「そうそう、しばらく入院しておったが、じきに、その子の、家族・・たぶん、母親だ。彼女の母親が迎えに来て、連れ帰ったそうじゃよ」と続けた。
芙美子の母親が、連れて帰った・・
芙美子には父親はいない。母親との二人暮らしだった。
だったら、現在、芙美子は、その母親と共にいるのか?
その場所は? どこだ。
俺の感情が一気に昂ぶった次の瞬間、
その感情を持っていく場所を失った。
「おじいちゃん、大丈夫っ?」と声をかけている裕美。
裕美の声に答えられず、左胸を押さえ、うずくまる老人。
一気に、状況は一変した。
救急車を待つより、俺の車で町の病院まで運んだ方がいいと判断し、何とか駐車場まで連れて行き、老人を乗せた。
俺と裕美は暗い待合所に並んで座っている。
とんだ旅行になってしまった。
芙美子の手掛かりの一端が掴めたが、それを教えてくれた老人が、緊急病棟に運ばれ、老人の家族が来院するまで、付き添うことになった。
医者が言うには、老人は心臓に持病を抱えており、いつもの発作らしかった。特に心配するような症状でもないそうだ。
別に帰ってもいいのだが、裕美が「おじいちゃん、可哀相」としきりに言うので、冷たくサヨナラをするわけにもいかなかった。
「おじいちゃん、大丈夫かな?」裕美はしきりに繰り返し言った。
一方、俺の方は、老人が心配というよりも、別の考えが俺の頭を支配していた。
老人に持病の症状を出させたのは、芙美子ではなかったのか?
だが、俺の周囲で芙美子の犠牲になったのは、そのほとんどが、俺の怒りの対象となった人間ばかりだ。老人の場合は当てはまらない。
俺はその考えを打ち消した。
そして、洞窟から救出された芙美子のその後を想像した。
芙美子が、病院で意識を取り戻し、俺の行方を探していたとしたら、どうだったのか?
俺は、それからすぐに結婚したわけではない。大学を卒業してからだ。
芙美子が、俺を訪ねてきたという形跡はない。
もしかすると、数年、目覚めなかったのか?
芙美子が、目覚めたのは、数年後だと仮定する。
いずれ、芙美子は、どこかで俺の結婚の事実を知ることになる。
まるであの古い映画「ひまわり」のように・・
映画「ひまわり」の女主人公は、戦争で亡くなったと思っていた夫が、別天地で別の女性と結婚していることを知ることになる。
女性は、夫が女性と幸せそうに暮らしているのを見届けると、何も言わず、泣きながら去っていく。
それと同じようなことが・・
芙美子と二人。映画を見た帰り、芙美子は言った。
「私は、決して中谷くんの前から消えることはないわ」
俺がずっと沈思黙考していると、
俺の頬にひんやりしたものが当てられた。缶コーヒーだ。
裕美が自販機で買ってくれたのだ。
「お父さん、さっきから、ずっと考え込んでいるよね」裕美が心配そうに言った。
全く、俺が落ち着いていないでどうする。裕美を不安がらせてはいけない。
俺は有り難く缶を受け取り、喉を潤し、気分を落ち着けた。
「裕美、悪いな。せっかくの休みにこんなことに」
俺が詫びると、裕美は「かまわないよ」と言って、
「お父さんといると、いろんなことがあるね」と感慨深く言った。
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