第90話 老人②

 俺の傍にいる人。

 その時、俺の脳裏にある人の言葉が浮かんだ。

「こうちゃんには、ずっとそばにいてくれる素敵な人が現れるわ」

 それは、夭折した俺の姉の言葉だ。

 確かに、姉の言う通り、ずっと傍にいる人が現れた。

 実際に、芙美子は行方不明となった後も、俺の傍にいた。

 俺が気づかなかっただけだ。


 気づかなかった・・そう思った時、俺は自分の記憶についても考えた。

 俺は長く芙美子のことを記憶の奥底に封じ込めたように忘れていた。そう思っていた。

 だが、それは、芙美子のなせる業だったのではないのか?

 俺が、過去の罪に苦しむことのないよう、芙美子が、俺の記憶を封じた。

 もしそうと仮定するなら、

 どうして、今になって俺の記憶が舞い戻ってきたというのだ。何か理由があるはずだ。


 そして、そう考えると、

 あることが頭に浮かんだ。

 ・・俺には、まだ思い出していないことがあるのかもしれない。


 洞窟を出ると、辺りは暗かった。

 早く駐車場まで行こう。標高が高いせいか、少し冷えてきた。

「帰りには、どこかで飯でも食おう。お母さんには電話しておくよ」

 そう言うと、裕美は「カレーが食べたい」と言った。


 ふもとに向かって歩き出すと、夕暮れた闇の中、歩いている人が見えた。

 男・・老人だ。

 俺たちと同じように山を下っている。


 老人は俺たちに気づいたのか、ゆっくりと振り返った。そして、俺と裕美の姿を認めると歩くのを止め、声をかけてきた。

「おや、こんな時間に・・」と言って「しかもこんな場所に」と驚いたような顔を見せた。

 彼が驚くのも無理はない。ここは名所旧跡がある場所でもないし、ハイキングコースでもない。奥に洞窟があるだけだ。

 逆に老人がこんな場所にいるのも不思議だ。と思ったが、老人は、山菜を集めているようだ。大きな籠に溢れんばかりの山菜が顔を出していた。


 裕美が気を利かして、

「お父さんに、肝試しで洞窟に入りたいってお願いしたの」と笑って言った。

 裕美の機転のお陰で父娘と認識された。

「そうかい。肝試しかい」

 老人は納得したように言って、

「お嬢ちゃん、あそこは確かに、出る、っていう話だよ」と笑った。

 確かに、霊魂のようなものは見た。噂話はまんざら出鱈目でもない。

「私、幽霊さんを見ました」

 裕美が老人の話に乗っかるように言った。

 すると、老人は笑い、 

「わしが子供の頃、親が言っていたよ・・そこに、あるものが見えず、ないものが見えたりする、ここはそんな場所だ、と」


 ・・あるものが見えず、ないものが見える。

 よくわからない言葉だったが、なぜか、心に残る言葉だった。

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