第75話 裕美の言葉①

◆裕美の言葉


 美少女の両足を掴んで離さない芙美子と化した教師の黒川。

 その蟹のような長い指から逃れようとする高坂百合子。

「おっ、おっ」と断続的な声と「いやああっ、先生、もうやめてえっ、熱いのっ」と絶望的な声。

 その間に聞こえる。俺には、別の女の声が聞こえる。

「心の醜い女は、こうしないとね」

 それは、あの雨のファミレスで、芙美子が憑依した女が近藤に言った言葉と同じだった。

「口が軽い人はこうしないとね」

 芙美子はそう言った後、近藤の顔を玉子切器のように潰した。


 高坂百合子は懸命に尻を動かし後退しようともがいている。

 彼女のふくらはぎから焦げ臭い匂いがし出した。同時に、くすぶったような煙が上がった。

 芙美子の指が、皮膚を焦がし、柔肉を切り刻もうとしている。

「ひいっ、足がっ、足があっ!」

 高坂百合子も近藤と同じようになる。

 更に、ジューッと高熱のアイロンを当てたような音がすると、

「ぎゃああああっ!」高坂百合子は、熱さと痛みのあまり、咆哮のような声を上げた。

 どこからこんな獣のような声が出るのだろうか。さっきまでのお上品な雰囲気とは正反対の声だ。

 無理もない。その綺麗な白いふくらはぎが、焼け焦げ、今にも切断されようとしているのだから。蟹のような指が白い肌に深く食い込んでいく。

 白い二本の脚が、子供の頃に見学した溶鉱炉のような色に変色している。まるで足が高熱で赤い光を放っているように見えた。

このままでは、彼女の足が二本とも引き千切れてしまう!

 そうなれば大事件になり、あげくは、娘の裕美にも何かの矛先が向いてしまう。

 それだけは、絶対に阻止せねば・・

 俺は、咄嗟に黒川の二の腕を掴んだ。だが、

「熱いっ!」

 手が焼けるように熱い。腕を通して、体全体まで伝わってくるような熱さだ。

 

 ダメだ、掴めない。俺は黒川から手を離した。

 すると、芙美子が憑依した黒川の頭が、あり得ない角度でぐるりと曲がり、俺の顔を見据えた。

 俺の腕に、彼女の片方の長い指が絡み付いた。

 おかしい・・今度は熱くない。

 すると、黒川の頭がカクカクと揺れ、

「ナカタニくん、どうしてなの?・・」と俺の名を呼んだ。

 それは黒川のガサガサの声ではない。芙美子の澄んだ声だ。

 芙美子は、俺のとった行動がまるで理解できない、という風だった。

 

 黒川先生の大きく見開かれた黒い瞳の中、その中に芙美子がいる。

 俺は瞳の中に呼びかけるように言った。

「芙美子・・確かに、この少女は悪い。許されないことをしたと思う。だが、まだ子供なんだ。ここまでのことはしなくていい」

 その言葉を芙美子が聞いてくれているのか、どうかは分からない。

 だが、俺には他にとるべき方法がなかった。


 すると、高坂百合子が「ぎゃっ!」と断末魔のような雄叫びを上げたかと思うと、がくんと上体が倒れ、仰向きになった。

 高坂百合子は気を失ったのだ。

 彼女の両脚を見ると、黒川先生の手から解放されていた。手が離れてはいるが、その肌は無残にも焼け焦げ、両指の数だけ、切れ込んだ跡があった。

 一方、黒川先生の方は、両手を万歳でもするような体勢でうつ伏せになったままだ。

 彼女も気を失ったのだろう。

 いや、黒川の体から、芙美子が抜けたのだ。そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る