第71話 黒川先生③

 彼女は、「こ、これが私の指・・」と言うなり「ひいっ」と切れるような声を上げ、

「あわわっ」と、がさついた声を出しながら、へなへなと草むらの上に座り込んだ。

 だが、尻もちをついたのは、彼女の体だけで、両腕はそうではななかった。

 両腕ともピンと宙に掲げられたままだ。まるで指の長さを誇示しているかのようだ。

 すると、先生は両腕の動きに合わせるように、そのまま腰を上げた。

 そして、頭がカクンカクンと揺さぶられたかと思うと、

「はあああっ」と異様な声を上げながら、よろりと起き上った。

 起き上ると、辺りの様子を伺うようにきょろきょろとその大きな瞳を動かした。まるで周囲の風景を初めて見るかのように。

 何かに操られるような黒川先生の体は、さっきまでの悪態をつく彼女とは別の人間に見える。

 高坂百合子が、「やだ、気持ち悪い」と吐き捨てるように言って裕美の腕を握った。

 おそらく、この教師の中には、芙美子がいる。

「芙美子・・なのか?」

 思わず声に出しそうになったが、思い留まった。

 だが、この女に芙美子が憑依していたとして、そこに何の意味があるのだ。

 これまで、芙美子は何かの異変がある度に現れた。最初は、友人の近藤。次にその父親。

 上司の花田課長。ショッピングモールの少女たち・・そして、先日の工場長。

 それらは全て、俺の誰かに対する敵意、もしくは俺に加えられる暴力。

 それらの一切を排除するべく芙美子は現れた。

 だとするならば、今回の目的は一体なんだ?


 それに、俺は、娘の裕美の中に芙美子が潜んでいる。あるいは芙美子は裕美の一部になっている。そう思っていた。

 仮に、この教師に芙美子がとり付いていると仮定するならば、

 俺の周囲の全てが芙美子に取り囲まれている。そんな状況となっているのではないのか。

 

 視線をあらぬ方に泳がせていた黒川先生は、高坂百合子と裕美の方へ視線を定めると、

「あっ、おおっ、んむうっ」

 更に臭い息を吐きながら、黒川教師は教師らしからぬどころか、人間とは思えない声を吐き出した。口からは涎が滴っている。

 それを見た高坂百合子は逃げ出す構えだ。

「ねえ、裕美、逃げようよ。気持ち悪いわ」

 この場を立ち去る・・その気持ちは分かる。

 だが、逃げることができるのか? 単純にそう思った。

 教師の黒川、いや、芙美子から・・

 そして、黒川に憑依した芙美子は、

 ・・確実に何かを捕えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る