第70話 黒川先生②
だが、そんな言葉に耳を傾けるような女ではなかったようだ。
「それで?」と言うふうな顔を俺に向け、そのまま返答なしだ。人の発言には何の関心も示さないのだろう。
更に彼女は、
「私はね、彼女たちとお話がしたいだけなのよ」と言って「げええっほおっ」と更に深く咳き込んだ。
その時だ。
裕美がこう言った。
「お父さん・・誰かの声が聞こえる」
小さく言ったが、俺にはそう聞こえた。
誰か・・確かに木々のざわめきの中に、ここにいる人間以外の声が混ざっている。
呻き声のような、囁きのような・・その声は俺と裕美にしか届いていない。
同時に、外気温が下がったように感じた。ぞぞっと背筋を悪寒が走った。
俺たちの会話を高坂百合子は、「ちょっと、裕美、何言っているのよ!」と戒めるように言った。
そして、高坂百合子は視線を裕美から、黒川先生に戻した瞬間、
「ひっ!」と小さく叫んだ。
見ると、高坂百合子が怯えたように、
「黒川先生・・そ、その手は?」と言った。
その声が震えている。彼女の目は、黒川先生の両手に注がれている。
暗がりでよく見えないが、確かに黒川先生の手がおかしい。指先から何かが滴り落ちている。
それは血のように見えた。
指摘された先生は、自分の両手を見て、
「ああ、これね」と応え、「さっき、そこでねえ、犬に噛まれたのよ。それで血が・・」と汚い声で笑った。
嘘だ。
犬に足か片手を噛まれるならまだ分かるが、両手を噛まれるなんて、どう考えても不自然だ。
「血のことじゃなくて・・」と高坂百合子は言った。
問題は血ではなかった。それよりも異様なのは、
黒川先生の指が長く見えることだ。しかも手が大きく、指が不自然なまでに、びろんと伸びている。それは確実に常人のものではない。
俺は知っている。
これまでにも、俺はその蟹のような指を何度か目撃している。
薄暗がりの中でも分かる。だらりと伸びた指先から血がぽたぽたと落ちている。
「な、なんなの・・この指・・」
黒川先生は、今さら自分の指の長さに気づいたかのように驚きの声を上げた。
彼女は両手を顔に近づけて凝視している。
そして、俺は、確かに見た。
目の前で、10本の指が徐々に伸びていくところを・・
ずずずっと指が顔をもたげるように、自分の姿を主張するように伸びていく。
まるで何かの植物の成長の早送りの映像を見ているようだった。
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