第60話 咳②
だが、俺の投げかけた質問は教師に伝わらなかったようだ。
突然、受話器の向こうで、「うっ」と呻くような声が聞こえた。
続いて、変な咳払いが数回聞こえた。何かを喉の奥から出そうとする咳だ。たまに俺も、魚の小骨が喉の奥に引っ掛かった時など、そんな咳をする。
教師の咳はどんどん酷くなる。
「げえっほおおおおっ」と体の中の物を出し切るような咳が連発した。まるで胃が裏返ってしまうかのようだ。
その後、ガタガタッ、という大きな音が聞こえた。受話器を落としたようだ。その後、床をざざざっと擦るような音が聞こえた。受話器をどこかに擦っているのか、もしくは、何かが這うような音にも聞こえた。
その後に訪れたのは、無音だった。
「先生、どうかしましたか?」何度か大きく呼びかけたが、電話に出ない。
だが、電話は繋がっているようだ。
声が聞こえる代わりに、シャーッと、ラジオのチューニングが合わない時のような音がした。先生は携帯電話だったのか? いや、それでもこの音はおかしい。電話口でこんな音は聞いたことがない。
「・・お父さん」
ふいに俺を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、真後ろに裕美が立っていた。
いつのまにか、裕美が二階から降りてきていたのだ。
俺の驚きの表情を見ながら、
「・・私、あの先生、嫌いよ」と淡々と言った。特に感情もこもっていない、そんな言い方だ。
裕美は、担任の教師と話していたことを知っているようだ。
裕美は俺の手から受話器を取り上げ、そっと電話台に戻した。まるで「先生との電話はおしまい」とでも言いたいかの如くだ。
「イジメは大丈夫よ。私には、友達がいるから」
前にも感じていたことだが、裕美はクラスメイトからイジメられているようには見えない。いくら俺でもそれくらいわかる。
俺が「そうか、友達か・・」と言うと、
裕美は「あとで、このサイトを見てちょうだい。私のことが書かれているわ」とメモを差し出した。見ると「検索ワード」のようなものが書いてある。だが、この字体は・・
「みんな、馬鹿みたいよ」さっきの先生のように言うと、裕美は二階に上がった。
妻がキッチンから出てきて「先生、何の電話だったの?」と尋ねた。
「あのショッピングモールでのことだよ。俺や裕美が何か知らないか? そんな質問の応酬だった。あとで上に報告するんじゃないか」
「でも、あなたや裕美は、何の関係もないのよね。ただそこにいた、というだけで」
「ああ、そうだ。それに、裕美のイジメのことを訊こうとしたら、電話が不通になったよ」
妻はその話に興味を失ったのか、再びキッチンに戻った。
俺は「いったい何なんだ、あの先生は!」と独り言のように言った。
少し落ち着いた俺を見て、
「ねえ、あなたも気づいていると思うけど・・裕美、ずいぶんと大人っぽくなったと思わない?」と言った。
「そうだな」
残念ながら、俺はそれ以前の裕美をよく知らない。俺が「成長期なんだろ」と言うと、
「成長期とか、そんなんじゃなくて、完成された大人の雰囲気、それにしゃべり方・・」
妻は不安そうに言った。
確かにそう思える。淡々とした話し方。
だが、その話し方を芙美子に似ていると、どうして言えよう。
「でも子供っぽい時もあるのよ。そんな時は少し安心するわ」
だが、俺は裕美のそんなところを見たことがない。
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