第52話 騒動②

 その瞬間、俺は悟った。

 今、この裕美の体には「芙美子」が憑依している、と。


「ひいいっ!」

 何かを切り裂くような女の声が上がった。

 それは、同じフロアの販売実演コーナーの方だった。

 見ると、

 頭の禿げた中年の男が、ティッシュ配りのコンパニオンの女性に絡んでいた。

 男は手に長い高枝切りハサミを持っている。誰が見ても危険なのが分かる。

 それは異様な光景だった。

 長い棒のようなハサミを手に、ミニスカートの華やかな女性に言い寄っているのだ。自分には一生、縁のない扇情的なミニスカートから伸びた脚に興奮したのだろうか?

 制止に入った店員が、罵倒されたうえに、蹴飛ばされ床に転がった。

 中年男は、集まった見物客を見て、「俺は、このねえちゃんと話がしたかっただけだ。それのどこが悪い!」と叫んだ。酔っているようだ。

 本当にそうなのかもしれない。男は女性に話しかけただけかもしれない。だが、高枝ハサミを手にした酔った男に言い寄られては、男でも身を退きたくなる。

 ハサミの先端を見ると、危なっかしくてしょうがない。ここからでもその刃先が光っているのがわかる。安全のためのストッパーが外れているようだ。


 だが、ここにいる少女三人には、その光景は目に入っていなかったようだった。

 突然、

「あわわっ」

 ミナコの背後にいた赤い口紅のレナが妙な声を出した。

 レナは自分の両方の手の平を広げて見ている。ポケットに入れっ放しの手を出したと思ったら、今度はまじまじと見ている。

 だが、その様子がおかしい。

「さっき、もらった接着剤よ。それが、ポケットの中で急に・・」

 見ると、レナの両手の指先から、半透明の液体が、たらーっと垂れている。ポケットの中で接着剤が洩れたのだろうか? そういえば、レナはポケットの中に手をずっと入れたままだった。

 それにしても量が多い。多すぎる。試供品以上の液体がレナの指に絡みつき垂れている。


「何だよ、レナ、たかが接着剤で、そんなに顔をして・・」

 ミナコが戒めた。だが、その異様な量に顔をしかめている。

次の瞬間、レナは悲壮な顔になった。

「ミナコさん・・手が、手がああっ!」と救いを求めるように両手を差し出してきた。

「なんだよ、レナ、うっせえな」

 歩み寄ってくるレナをミナコは避けている。

「指が熱いのっ、焼けるように熱いの!」

 手が熱い?

「ああああっ」

 レナはそう叫んだ。「指が焼けるううっ」

 辺りを冷気が包み始めていた。それは、あの洞窟の冷気と同じだった。

 レナの指を見ると、まるで指が中から焼けているように見えた。指の色がどんどん変わっていく。

 その指の色・・

 子供の頃、祖父の工場で溶鉱炉の中を覗き込んだことがある。その時の色と同じだった。


 レナの指先から、白煙が噴き出始めた。

 ミナコは、そんなレナの指を見るや否や、「なんだ、その指は!」と驚きの表情を浮かべ、

「レナ、寄るなっ!」

 ミナコは、「こっちに来るな、あっちへ行け!」と言わんばかりに手で追い払うようにした。

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