第31話 領収書①

◆領収書


 その後、その山下さんと課長が雑談を始めたので、白井さんには悪いが、俺は休憩がてら会議室を出て、事務所内の休憩室で自販機のコーヒーを飲むことにした。やはり、日本茶より、コーヒーがいい。あの中年女性が出てきたら、部屋に戻ろう。

 やはり、二人きりはいけない。

 すると、同じように休憩をとっている作業着姿の若い男たちの会話が耳に届いた。

「あの子、可愛いなあ」

「本社の若い社員だよ。帳簿の突き合せに来ているんだってよ」

 近くに本社の俺がいるのに、遠慮なしだ。

 おそらく、白井さんのことだ。この工場は女っ気がない。事務員は年配の人が多い。

 こういう場所にいると、本社から来た若い女性社員は華やかに映るのだろう。

 こういった若い男たちのエネルギーは通常のものとみなされ、課長のような親父の欲望は異常とされる。なぜか変な気もするが、いずれにせよ、犯罪でなければ咎められることはない。

 そう、犯罪でなければ・・

 俺はその言葉をかみ砕くようにして、心の中に呑み込んだ。


 男たちが去ると、白井さんが会議室から出てきた。

「係長、休憩ですか?」

 白井さんは「私も少し疲れました」と言って、向かいに腰かけたので、俺は自販機のコーヒーを奢った。

 さっきの男連中、白井さんに会えなくて残念だったな・・と思いながら、

「なあ、白井さん、花田課長のスキンシップ、うっとうしくないか? やたらと体に触れているようだけど」

 俺はセクハラ行為のことを訊いた。

 訊かれた白井さんは少し俯いたが、すぐに顔をあげ、「最初は、慣れると思っていたのですけど、やはり、慣れませんね。こういうことは・・」

 柔らかく言っているが、彼女なりに大変だということが感じ取れた。


 白井さんは、「係長も、見ていて、イヤですよね」と言って屈託のない笑顔を見せた。

 俺は「そうだな、いいものでは決してない」と答えた。

 何故か嬉しそうな白井さんの顔を見て、「なぜ笑ってられる?」と思ったが、

「でも、係長が私のことを心配してくれて嬉しいです」

 そう言って白井さんは、表情を隠すようにコーヒーに少し口をつけた。

 そんな白井さんの気持ちを汲み取り、

「上司と言えども、義憤に駆られるんだ。放ってはおけない」と俺は強く言った。

そんな俺の顔を白井さんは真顔で見つめた。だが、すぐにその真剣な顔を打ち消すように微笑んだ。

 そして、こう言った。

「・・あんな男、いなくなればいいのに」

 それは聞こえるか聞こえないほどの小さな声だった。

 俺が「えっ?」と聞き返すと、白井さんは「ううん」と首を振った。

 そして、

「あの、中谷係長」と呼び、

 密談でもするように小さな声で「言いにくいことなんですけど」と全く別の話を切り出した。

 俺も聞く姿勢をとった。

「さっき、交際費関係の領収書の摘要欄をチェックしていた時に気づいたのですけど」

 交際費・・公費を社員が私用に使っているとかの話か?

 白井さんの話を聞いてみると、出退勤記録や飲食代の領収書の日付を突き合せていくと、工場長と女性事務員の二人の関係が浮き彫りになってきたということだ。


 あの人柄の良さげな工場長の木村さんと、同じく優しそうな事務員の山下さんが不倫?

 その話が本当であれば、少しショックだ。想像もつかなかった。

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