第29話 工場①

◆工場


 花田課長は、ひどくご機嫌斜めだ。

 それは、俺が同行することになったからだ。

 さっきから、「どうして、中谷くんが、一緒なのかね」と繰り返している。

 現在、タクシーの中だ。

 俺は運転手の助手席に座り、花田課長は後部席。俺の斜め後ろに座っている。

 そして、俺の真後ろには、同じ課の女性・・

 そう、白井さゆりさんが、花田課長とできるだけ距離を置くようにして座っている。

 

 今日の午後、俺たち経理部の三人は、我が社の工場の経理状況の調査に行くことになった。

 前からスケジュールは組まれていたが、予定では、花田課長と白井さんの二人だった。

 俺を加えたのは、予定外だ。

 つまり、花田課長と白井さんを二人きりにする時間を作らないこと。何も白井さんに限ったことではない。女性社員が花田課長と二人きりになるのはよくないのだ。


 それを経理部に暗に伝えたのは、俺の妻からだ。

 妻の美智子が、親会社の会長である父親に伝え、それが、子会社の経理部の部長にまで伝えられた。

 つまり、俺は監視役にあてがわれたわけだ。

 花田課長よ。移動、若しくは首が飛ばなかっただけ良しと思え! 俺はそう思った。


 だが、当の花田課長はその事実を知らないせいか、何とも思っていないようだ。彼はただ、白井さんと二人きりで工場に行けると思っていたところ、俺というお邪魔虫の存在で不機嫌になっているだけだった。

 花田課長は「どうして、部長は、中谷くんが同行するようになんて、言ったのかなあ」とぼやいている。態度が露骨だ。

 彼の言いたいことはこうだ。「中谷はコネ入社なんだから、無理に仕事をせず、会社に残っていればいいものを」そんなところだろう。

 その反対に、白井さんは、俺が一緒になったことで安心を得ているのか、嬉しそうに見えた。


 ルームミラーで後部席を見ると、花田課長の視線は窓の外を見ることは決してなく、白井さんの胸元や、その太腿に注がれているのがよくわかる。 

 まさに視姦というやつだな。

 だが、まさかタクシーの中で白井さんの体に触れるようなことはしないだろう。

 藤田さんから白井さんは切れやすいと聞いている。万が一、度を超えたセクハラ行為があれば、白井さんがどんな風に切れるのか、想像もつかない。


 そんな白井さんの様子を見ようと、ルームミラーを見てドキッとした。

 鏡に映る白井さんの姿は、うつむいているせいか、長い髪の分け目しか見えない。

 今日は髪を結ってはいるが、何度か芙美子の姿を見ている俺にとっては、白井さんの姿まで芙美子ではないかと思うようになっていた。

 白井さんが顔を上げれば、それは・・

 いや、考えすぎだ。

 顔を上げた白井さんは、いつもの笑顔の絶えない白井さんそのものの顔だった。

 芙美子の顔とは似ても似つかない。


 本社から30分ほど時間をかけて、工場に着いた。

 工場は、そのほとんどが広大な屋外の敷地で、残り三分の一が屋根のある屋内工場だ。

その端に、我々が訪問するプレハブの簡易な事務所がある。


 工場には、会社から、数十万の引当金が当てられる。その金をちゃんとした目的で使われているかどうかを調べるのも経理の仕事だ。

 帳簿自体は経理部に上がってくるが、現場に行ってみて、それを照合しなければならない。本当であれば、日を分けて作業するのだが、ここの工場長はきっちりしているので、部長も信用している。

 いい加減な人間がいる工場であれば、引当金をどんどん請求し、その実態が本来の目的でないことに使用されていたりする。そして、ちゃんとした領収書が添付されていない。すると、未精算のまま、引当金が膨らむという現象が起きる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る