第28話 「ひまわり」②

 不可解なことを言う裕美に俺は声を大きくした。

 そんな俺に妻が「あなた、それって大きな声で言うことではないわよ」と戒められた。

 当の裕美は、

「う~ん。そうだったかなあ」と記憶を手繰り寄せるような顔をして、

「そうだ!」と、ひと言、声を上げ、「リバイバルの上映館だよ。お父さんと行ったよ。確か、お父さんが『見に行こう』って言い出したんだよ」と説明した。


 生き生きと言う裕美の顔を見て大事なことを思い出した。

 話しながら俺のことを「お父さん」と呼ぶのは嬉しい。親しげに話してくれることはもっと嬉しい。これまでになかった会話だ。

 本当の親子らしい会話だ。


 だが、俺は裕美とそんなリバイバルの上映館には行っていない。一緒に見に行こう、などと誘ってはいない。

 そう・・

 映画に行こう、と誘ったのは、芙美子だ。

 俺の記憶が学生時代に移る。

 記憶が遡ったのと同時に、芙美子の声が聞こえてきた気がした。


「ねえ、中谷くん。今度の日曜日、映画に行かない?」

 芙美子にそう言われたのは、大学の図書館前の広場だった。

 芙美子と、お茶や、食事・・どこかに行く時は、待ち合わせ場所にたいてい図書館前の広場を利用していた。

 芙美子は「私、リバイバルの映画って好きなの」と言った。

 その理由を訊くと、封切りの映画は、見て後悔することが多いが、リバイバル上映はずっと残っている作品だからだ、という回答が返ってきた。

 なるほど、と思い、どんな映画かと訊けば、かなり古い映画の「ひまわり」だった。

 子供の頃に両親と見たらしい。それもリバイバルだった。

 芙美子が幼い頃、両親と行ったのは普通のリバイバル上映館だったが、芙美子と行くことになったのは、古い映画ばかりを集めて週替わりでやっている小さな名画座だった。料金も安かったのを憶えている。

 

「ひまわり」・・深く愛し合った恋人。

 戦死したと思っていた恋人が生きて帰ってきた。だが、女は既に結婚していた。

 そんな簡単なストーリーだが、出演俳優や、有名すぎる音楽もあって、かなりの名作として残っている。

 映画の帰り、近くのプラタナスの並木道を散策しながら、

「悲しいわね・・」

 芙美子はそうポツリと言った。映画の感想だ。

 気がつくと、芙美子は泣いていた。

そして、「二人とも想い合っていたのに、何かが原因で引き裂かれるのね」と言った。

「でも、相手が戦死したと思っていたわけだから。いなくなれば、想いも変わるかもしれないだろ」

 俺がそう言うと、芙美子は、

「私は、いなくならないわ」

 芙美子の長い髪が揺れた。

「えっ・・」

「私は、決して中谷くんの前から消えることはないわ」

 芙美子はそう繰り返した。何かの決め事のように。


 その言葉を聞いた時は嬉しかった。俺だけでなく、そう言われて喜ぶ男はごまんといることだろう。

 だが、日を追うにつれ、その言葉は俺にのしかかってくるようになった。

 言葉が重い・・そう感じた。芙美子の心が重いのだ。

 芙美子が俺を追いかけるほど、俺の心は逃げていく。そんな現象だった。


 それから、数年経った今、義理の娘が映画「ひまわり」を見ている。


 一体、どういうことだ?

 娘の裕美の記憶と、芙美子の記憶が重なっているのか? そんなことはありえない。

 こうして娘と話していても、芙美子と話しているような感覚はない。あくまでも裕美と話しているとしか思えない。


 第三者の記憶が、他の誰かに移る・・そんな怪異な現象があるのだろうか。

 すると、芙美子は・・生きているのだろうか? 

つまりは生霊だ。だが、この時代にそんなことが起こり得るのだろうか。

 頭が変になりそうだ。

 そして、俺は思った。芙美子がどこかにいる・・

 いつも、俺のそばに。

 ああっ! 

 俺は叫びだしそうになるの堪えた。

 芙美子、君は近くにいるのか?

 

 そう思った瞬間、 

ぺたっ、

 と、小さな音がした。窓の方だ。

 開け放ったカーテンの窓に、またそれは付いていた。

片方の手の平だ。

 まるで、俺が「芙美子がどこかにいる」と訊いたことに対する芙美子の返事のように思えた。

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