第25話 モップ②

 近藤の父親はそう言って詰め寄ってきた。

 そして、こう言った。

「私は、聞いているんだよ。息子は言っていたらしいんだ。全ては、中谷のせいだ。  中谷が連れてきたふみこのせいだって、うわ言のように繰り返していたんだ」

「そんなっ」

 俺は「言いがかりだ!」と突っぱねた。

 だが、そんな言葉で治まる気配もない。

 彼は両腕で俺の胸ぐらをつかみ、「どういうことなんだ? 説明してくれないか」と言った。

「ちょっと、落ち着いてください! 待ってください。息子さんは、きっと勘違いをされているんです」

 俺は必死で近藤の父親の興奮を鎮めようとした。


「いや、感違いなんかじゃない! 息子はそんな男じゃない」

 彼は近藤の親だ。赤の他人の俺よりも息子の言葉を信じるだろう。

 

 近藤の父親は、勢いに任せて、俺を鏡の方にぐいぐいと押しつけていく。 

 俺の体は、そのまま反り返り、後頭部が鏡に当たり、ミシミシと音を立てた。

 腰が洗面台に当たり、変な風に曲がり、痛い!


 近藤の親の興奮は鎮まる様子もない。

 まるで何かにとり憑かれているように見えた。

 俺の体は意思を失ったように、鏡に押しつけられていく。そして、彼の両腕は俺の首を絞めつける形をとった。声が出ない。

 殺される!

 そう思ったが、なぜか頭がぼんやりしてきた。これが首を絞められるということなのか。

 ・・これは、何かの罰だ。俺に課せられた罰に違いない。芙美子を洞窟に置き去りにした時から、俺の刑の執行は始まっていたのだ。そう思った。

 

 薄れていく意識の中、いろんな人の顔が浮かんだ。

 ダメだ。今、死ぬわけにはいかない。抵抗しないと・・


 そう思った時には、「うわあああっ」自然と声が出ていた。

 俺は、満身の力を込めて、近藤の父親の体を撥ね返した。

 かなりの抵抗があったが、俺は彼の体を突き飛ばすことに成功していた。


 近藤の父親の体は両手を広げたまま、ドアの方に遠のいていった。

 そして、不思議なことに、そのまま両手を広げて、再び戻ってきた。

 それは自分の意志ではなかった。

 彼の後ろにもう一人の人間がいたのだ。

 近藤の親は、自分の状況を把握できず「おっ、おっ」と、苦悶の声を上げている。


 彼の背後にいた人物・・

 それは、さっき俺がこぼしたコーヒーを拭いてくれた女性看護師だった。

 看護師は、長い棒を、まるで槍のように近藤の親の後頭部にあてがっていた。

 まるで、突き刺すような形だ。

 長い棒・・

 それは、モップの柄だった。その布地の部分は取り外され、剥き出しになった金具が口を開けていた。

 幅の広い金具は、布地を固定する為のギザギザ状の鋭い刃を向けていた。


 看護師が両手でしっかりと持ち、何かの競技のように構えている掃除道具のモップは、一個の凶器と化していた。

 近藤の父親は立ち尽くしたまま、その目は開け放たれ、口からは涎がだらっと垂れている。まるでモップの柄が、彼の急所を深く捕えたようだった。

 だが、あんな弱い金具で、これほどのことができるだろうか?


 その次の瞬間には、女性看護師は、

「あれえっ・・私、何をしているのかしら?」と、まるで夢から覚めたかのように言って、モップを下げた。


 すると、数名の女性看護師と警備員が騒ぎを聞きつけて来た。

「ちょっと! ヤマノさん。何があったんですか!」

 年配の女性看護師が、ヤマノという名を大きく呼んで問い質した。

 状況を上手く把握できていない警備員が、おろおろしている。誰が加害者で、誰が被害者なのか分からないのだ。

 取り敢えず、身内である女性看護師が、来客に向かって暴力を振るうわけがない。それが大前提だ。

 だが、どう見ても、近藤の父親の首からは血が流れ、その顔は痴呆状態となって、意識が朦朧としているようだし、俺の方は洗面台を背に衣服を乱している。

 見舞客同士のトラブルと思われ、俺が加害者に見られる・・そう思った。


 年配の看護師が「この人を医務室に」と指示して、別の若い看護師が近藤の父親を連れていった。

 俺は「大丈夫ですか?」と訊かれ「何もない」と答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る