第24話 モップ①

◆モップ


 ・・もう帰ろう。こんな場所に長居は無用だ。それに寒くなってきた。

 俺は、べたついた手を洗おうと、腰を上げた。

 その時、ふと前を見ると、鏡の中に、人影がすーっと現れた。俺の真後ろだ。

 近藤の父親が入ってきたのか?

 そう思い、振り返ろうとしたが、できなかった。

 俺の頭に重なるように、その女性はいた。合わさった俺の頭の両サイドから長い髪がふわふわと風に煽られているように揺れている。

 男子トイレの中に、女性だ。異様な感じがした。しかも音がしない。

 さっきの看護師? それともトイレの清掃員なのか?

 だが、そのどちらでもないことは俺が一番よく知っている。 

 俺は、ただ、そう思うべき人の名を口にするのが怖かったのだ。

 

 芙美子・・その名を浮かべるのが怖かった。

 ・・そんなはずはない。芙美子がこんな場所にいるはずはない。そう思い込もうとした。


 だが、この匂い、そして、ファミレスで感じた同じ冷気。

 これは、あの洞窟の冷気と同じだったし、いつもの芙美子の匂いだった。

 今、芙美子が! 俺の後ろに立っている。


 もしそうなら、芙美子、教えてくれ!

 近藤は、そんなにひどい目に遭うようなことをしたというのか!

 本当に、俺の傍にいるのは芙美子なのか?


 俺はそう叫びながら、振り向いた。

 その瞬間、俺は尻もちをつきそうなほど驚いた。

 芙美子ではなかった。

 そこには、近藤の父親が、同じように驚きの表情を浮かべて立ち尽くしていた。

 げっそりとやつれた顔が怖かったのだ。

「中谷さん、どうかされましたか?」

 俺は、「いえ、別に・・ちょっと気分が悪くなって」と応えた。

 それより、俺に何か用事でもあるのか? それとも用足しか?


 すると、近藤の父親は歩み寄り近づいてきた。

「帰ろうと思ったのですが、気になることを思い出したのでね」と静かに言った。

「気になること?」

「ええ、息子のことなので、すごく気になります。それも、中谷さんに関係しているのでね」

「申し訳ないですけど、何のことなのか、分かりかねます」

 俺がそう返すと、

「中谷さん、あんた、私に言っていないことがありますよね?」

 トイレの中にその大きな声は響いた。

 言っていないこと?

「な、何の話ですか?」

「あんた、何か隠しているだろ!」口調が急に変わった。

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