第23話 特別病棟②

「信じられない。もうどうしていいかわからない」

 近藤の親は頭を振りながら言った。

 そして、「中谷さん、信じられないでしょう?」と同意を求めるように言った。

 俺が同調すると、

「あの長い指はね、息子の頭蓋骨に食い込んでいっているんですよ!」

 近藤の父親は目を剥くようにして「どんどん、どんどん、食い込んでいく」と繰り返し言った。

 細く長い指、見えない指が近藤の頭蓋骨を締めつけている。

 ありえない。だが、近藤の父親の口調は真剣だ。

「しかも、こんな短い期間に、担当医が何人か変わったんです」

 そんなことがあるのだろうか・・

「降りた先生は、こう言ったらしいです。『俺は、いやだ! あんなのを相手にするのは、ごめんだ!』ってね」

 ・・あんなのを相手にするのは、ごめんだ。

 その言葉を聞いた瞬間、飲みかけの缶コーヒーを落としてしまった。缶はゴロゴロと中身の液体を垂れ流しながら転がった。

 同時に、俺は猛烈に気分が悪くなって、吐き気を催した。


 俺の様子を見ていた近藤の父親は、「大丈夫ですか?」と言った後、

「中谷さん、あんた、何か知っているんじゃ?」と大きく言った。

 俺が知るわけがない! 

 そう返そうとした時、看護師が現れ、「どうかされましたか?」と訊いた。俺は「すみません。コーヒーを溢したので拭くものを貸してください」と返した。

 優しそうな看護師は「いいですよ。こちらでしますから」と言って、モップで床を丁寧に拭き始めた。


 その様子を見ながら近藤の父親は、「すみません。感情的になって・・」と謝った。

 そんな言葉に返す余裕も俺にはなかった。込み上げてくる吐き気を抑えることと、吐くためのトイレを探すことで頭が一杯だった。

 俺は近藤の親に「では・・」と別れを告げると、同じフロアのトイレに駆け込んだ。

 胃の中のものを戻すと同時に、俺は膝をガクッと折り、そのまましゃがみ込んだ。洗面台の端を両手で持ち、なんとか倒れずに体を支えた。

 大きく呼吸をした。


俺の頭の中を様々なことが渦巻いていた。芙美子のこと、近藤の不運な出来事。

そして、近藤の顔に張り付いた両手。

 ダメだ。こんな非現実的なことを俺は抱え込み切れない。

 助けてくれ!

 そう思っても、誰も助けてくれるはずもない。誰かに救いを乞うということは、最初から事情を話さなければならないからだ。

 芙美子とつき合っていたこと。そして、彼女を洞窟に置き去りにしてきたこと。それらを全て告白しなければならない。

 そんなことは、絶対に出来ない。

 俺は、そう自分に強く言い聞かせた。俺には守る家族があるし、今更どうにもできない。

 戻ることはできないのだ。

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