第22話 特別病棟①

◆特別病棟


 ファミレスでの暴行事件。

 それは大した事件性もない、そんな結着だったらしい。

 加害者である髪の長い女には、その動機も見受けられず、加えて事件時の記憶も全くなかった。俺は近藤の知り合いであると同時に目撃者でもあったので、警察にあれこれと訊かれることになったが、全てを話すわけにはいかなかった。

 不明確なことを話すとやっかいなことになる。例えば、女の顔が店に入って来た時と、実行に及んでいた時と違う、などと言ったら、芙美子の顔のことまで話さねばならない。

 近藤は、あの時、ファミレスの女のことを「芙美子だ!」と言っていた。そのことを警察に話されると、「芙美子とは誰だ?」と話が飛んでしまう。

 しかし、その話がまるで出てこない。近藤は警察に言っていないのだろうか?


 夕刻、俺は見舞いも兼ねて、近藤の様子を見に病院に行くことにした。

 病院は古い様式のもので、塗装も剥げかけているし、壁もいたるところが、ひび割れている。おまけに照明も暗く、床もたわんでいる。

 そして、肝心の近藤はまだ面会謝絶だった。しかも病室を移されている。どういうことなのか全く分からない。容態がよくないのか?

 近藤は、あの女に顔を無茶苦茶にされてはいたが、四肢には何もされていなかったし、内臓にも何もされてはいない。問題があるとしたら、目や、頬の肉くらいのものだと思ってはいるが、容態は予想を上回るものなのだろうか?


 拍子抜けした俺は、暗い待合所で缶コーヒーでも飲むことにした。

 ロビーには誰もいなかった。少し休んでから帰ろう。

 すると、一人の中年男が寄ってきた。見ると、どこかで会った顔だ。

「あんた、中谷さん・・だよね」

 そう言われて思い出した。近藤の父親だ。大学のコンパの帰り、泥酔した近藤を家まで送って行った時、出迎えてくれたのが、近藤の父親だった。心労がたたっているのか、やつれて見える。

 

 俺は丁寧に挨拶をし、事件当時のことなどを話し終えると、

「近藤くん・・特別室の方に移されたみたいですけど、かなり・・悪いのですか?」

 と、父親の顔色を伺いながら訊いた。

 すると、「悪いというか、何というか」と歯切れの悪い言い方をした。

 こちらが黙っていると、

「医者はね・・こんなの見たことがない、そう言うんですよ」と言った。「私は、医学的な説明を聞いても、何もわかりませんが・・」そこでまた言い澱んだ。

「何か症状がおかしいとか?」俺は話を促した。

 尋ねると、父親の顔がふいに歪んだ。暗い中、その険しい顔はかなり不気味に見えた。


「医者が言うには、息子の顔・・いや、頭蓋骨に、何かが張り付いている・・そう言うんですよ。実際に写真も見せてもらったんです。でも、息子の顔を見ても、そんなものはどこにもない」

 近藤の親は、医者の言葉を言った後、「でもね」と区切り、

「私にはね、息子の顔に張り付いているのが・・『手』に見えるんですよ」

「手?」

「ええ、それも、二本の手です。正確には手の平ですけどね」

 手の平って・・

「医者はそんな非科学的なことを一言も言いませんがね」

 どういうことだ? さっぱりわからない。近藤の顔に手が張り付いている。しかも、見えない手・・まさか、ファミレスで見た芙美子の手なのか。

 俺は、近藤の父親に訊いた。

「それは、どんな手でしたか? もしかして、大きな手、だったとか?」

 すると、彼は、「ええ、信じられないくらいの大きな手ですよ。しかも、指が細く長い・・」と言って、「ああっ、どうして、あんなものが息子の顔に!」待合所に響くような大きな声で言った。「あれじゃ、まるで、蟹の足だ!」

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