第20話 セクハラ②

 昼の三時頃、総務の女性、藤田さんが、

「中谷くん、ちょっといい?」と、さも内緒話のように声をかけてきた。

 藤田さんは課は異なるが、同い年なので、けっこう仲がいい。

 俺は「秘密事項か?」と冗談ぽく受けて、階段の踊り場で話を聞くことにした。

 普通、社員はエレベーターを使うので、踊り場は秘密めいた話のできる格好の場所だ。


 藤田さんは、「経理の白井さん、セクハラを受けているそうなのよ」と切り出した。

「セクハラ?」

 ・・して、そのセクハラをするけしからん奴の名前は?

 と尋ねると、予想通り、我が経理部の課長、花田氏だった。

 言われて見れば花田課長は中年男子独特のイヤらしい顔をしているし、いかにも女性に対して強引、かつ、女性に対する言葉を選ばないようにも思える。


「セクハラって・・かなり、ひどいのか?」と尋ねた。

 俺なりに心配だ。白井さんは、可愛い部下であるのと同時に、優秀な課員でもある。下卑た課長のセクハラで退社ということにでもなれば、課にとっても、俺にとっても大きな損失だ。

 具体的には、

 夕方、飲みに誘われることはもちろんのこと、仕事中のスキンシップも激しいらしい。つまり、お尻を触られたり、不自然に胸に手をやったりするということだ。

 一昔前にいたような典型的なセクハラ親父だな。

 藤田さんは、こんな話もした。

 経理部の飲み会の時のことだ。トイレに立った白井さんを、花田課長は待ち伏せしていたらしい。その場で抱きついたということだ。

 白井さんの悲鳴を聞いた男性社員のおかけで危うく難を逃れたが、花田課長は「酔っていて憶えていない」との一点張りでその場をしのいでいた。

 確かにまとめて聞いてみると、ひどい。まさしく女性の敵だ。


 だが、そのことを俺に言ってどうなる? 上司である花田課長に文句を言ってくれ、ということなのか?

 そう訊ねると、

「だって、中谷くんの奥さん、会社の上層部に口利きができるんでしょう?」と言った。

 そういうことか。

 俺がコネ入社であることは大抵の社員が知っている。つまり、俺のコネで上から花田課長に注意なり、勧告なりをしてくれ、そういうことだ。

「他の女性社員も、そう言っているのよ。中谷さんに言ってみたら、って」

 やれやれ。

 話を更に深く聞いてみると、花田課長のセクハラ被害に遭っているのは、白井さんばかりでもないようだ。こうして話をしている藤田さんも強引に誘われたことがあるそうだ。

「それで、肝心の白井さんは何と言っているんだ? 被害者だろう?」

 俺がそう訊ねると、藤田さんはこう言った。

「それが、一番の問題なのよ」

「一番の問題?」

 どういうことだ?

「セクハラ被害なら、さっき言ったように、私もそれなりにあるけど・・やっぱり、何とか気持ちを抑えるっていうか、我慢しちゃうところがあるのよね」

 分かる気がする。セクハラが大ごとになって問題になれば、上手くいくと、花田課長の出世コースに支障を生じさせることもできるが、悪い方向に転がれば、こっちの身が危うくなる。


「それで、白井さんの何が問題なんだ?」 

「・・白井さん、切れやすいのよ」

「切れやすい? つまり、怒りっぽい、ということか」

 そう訊ねると藤田さんは、「彼女、普段は大人しいんだけどねえ。怒ると何するのか、分からないところがあるのよ」と心配そうに言った。

 何するか分からないって、ずいぶんと物騒だな。

 目の前の藤田さんは大人の女性。そして、部下の白井さんは可愛らしい、というか、ひと言で例えるなら、「線の細い女の子」という感じだ。

 何をするか、分からないということは、今度、花田課長が白井さんのお尻でも触れば、頬を引っ叩くことくらいはやりかねない、ということだろうか。

 俺がそう言うと、「その程度なら、いいのだけど」と藤田さんは言って、これまでのことを説明した。

 白井さんは、先輩社員が仕事上のことで少し注意しただけで、激高し、大声を出し反論したこともあったし、男性社員がプライベートなことを訊いただけで、大勢の前で、人が変わったように「どうして、あんたみたいな男に教えなきゃいけないのよ!」と怒鳴ったということだ。それきり、白井さんに私的なことを訊く男性社員はいなくなった。

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