第18話 窓
◆窓
自分自身の記憶も怪しい・・
そう思いながら、テレビの向こうの大きな窓に視線を走らせた。
窓の向こうには、暗い月に照らされた庭が広がっている。
さほど大きくもない庭だが、この家を買う際、他の物件よりは大きかった。それがこの家を選んだ時の大きな要素だ。大きめの松の木や、栗の木もある。
そんな庭に浮かぶ月を眺めるのに、時折、こうしてカーテンを開け放っている。
何となく夜の風景を眺めていると、何か気になるものが目に留まった。
気になったのは、庭の風景よりも、その手前の窓ガラスの方だった。
ガラスが、汚れている・・
最初は、ただの汚れだと思ったのだが、どうも違うようだ。何かの模様になっているようだ。
俺が「窓、汚れているよな?」と妻に言うと、
「さっき、私も気づいたのだけど、それって外側の汚れなのよ。明日の朝、拭いておくわ」
そう妻は言ったが、俺の胸の中に、妙な不安が渦巻き始めた。
あの汚れ・・指に見える。それも数本の指だ。蟹のように長い。
そんな不安を抱えながら、やり過ごすのも耐えられない。
俺は窓ガラスに向かった。
見れば見るほど、それは大きな手の平に見える。妻が言うようにそれは外側から付いた汚れのようだ。だが、こんな汚れが勝手に付くとも考えにくい。
妻が、「私の言った通り、外側でしょう」と言った。
俺はテレビを見ている妻に向き直って、「ああ、そうだな」と応えた。
すると、俺の背中で「コンッ」と音がした。窓に小石が当たったような音だ。
鳥か?
俺は、月が陰り更に暗くなったガラスの向こうの闇を覗き込んだ。
松の木の下には、小さな灯籠がある。ただの飾りだ。
その手前に白いものが見えた。白い鳥、あるいは・・
そう思っている間にも、その白いものは、闇の中でどんどん大きくなっていった。
大きくなるのと同時に近づいてきた。
それは、顔だった。白い肌、そして、長い髪。
その顔は・・芙美子の顔だった。
暗闇の中に顔だけが浮かんでいる。その目の奥の闇に吸い込まれそうになった。
「わわわっ」俺は驚きの声を上げた。
情けないことに後退する足が絡まり、妻の座っているソファー近くまで転がり込んだ。
妻の「あなたっ!」と呼ぶ声で、俺は闇の中からすくい上げられたようだった。
「もうっ、何なのよ、子供みたいな声を出したりして」
俺は何とか取り繕いながら、「な、何でもない」と応えた。まさか知っている女の顔が見えたとも言えないし、もう窓の方を向く勇気はなかった。ようやく、「カーテンを締めといてくれ」と言うだけだった。
翌朝、妻は「窓の汚れ、中々取れないのよ。きつめのクリーナーを使ったのだけど」と言った。俺も色々と試したが、長い指の手形のような汚れは落ちなかった。
そして、妻は言った。
「この形・・手の平に見えるわね」
俺が答えないでいると、妻は、「でも、こんなに長い指。ありえないわ」と言った。
芙美子が、この家にまで来たというのか!
まさか・・
だが、さっき見た芙美子の顔の幻影はどう説明できる? まだ庭の中に漂っている気がしてしょうがない。
妻とやり取りをしていると娘の裕美が二階から降りてきた。
裕美は寝惚け眼をこすりながら「おはよう」と言って「何やってんの?」と俺たちに訊いた。
妻は「窓に変な汚れが付いて、とれないのよ」とぼやき、俺に囁くように、「あなた、あの話はしないでよ。けっこう何でも気にする年頃なんだから」
あの話というのは、裕美が学校でイジメられている話だろう。
そんな素振りも見せない裕美は、
「それなら、晩ご飯を食べてる時、付いたんじゃない?」と言った。
妻が「ええっ、そうなの? でも、どうして、そんな時間までわかったりするのよ」と訊くと、
「ぺたっ、って、ガラスに貼り付くような音が聞こえたから・・丁度、いつも見てるドラマが始まった時間だから憶えてるよ」裕美はそう言った。
ガラスに貼り付くような音がした?
今、確かなことは何一つないが、
そのドラマが始まる時間は、近藤が女に襲われた時間だ。
正確には、ファミレスに芙美子の顔をした女が現れた時間だ。同じ時間に芙美子が現れたというのか。ファミレスと、この家に・・
ありえないことだ。
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