第13話 女の顔①

◆女の顔


 近藤は口と目を塞がれ「ふごっ、ふごっ」と意味不明の声を上げ、足をばたつかせている。立ち上がろうにも、芙美子は両肘で近藤の肩を押さえ込んでいる。手慣れたような感じだ。

 芙美子は、今度はそんな近藤の眼球を潰しにかかるように指を食い込ませにかかった。

「芙美子、やめてくれ!」

 ようやく、俺の声が出た。だが、恐怖のあまり、うわずって上手く言葉にならなかった。

 芙美子は「どうして?」と首を傾げた。


 その時、

「ちょっと、お客さん!」

 ウェイトレスから聞きつけてきたのか、店長がやってきた。太った中年男だ。制服のシャツが膨らんだ腹で左右に開いている。

 店長は近藤の悲惨な様子を見て、顔色を変えた。

「あ、あんたら、一体、何をやってるんだ!」

 そう叫んだ店長は一旦は退いたものの、芙美子の肩に手を触れた。

 店長は、言葉より行動を選んだのだろう。

 だが次の瞬間には、

「あなた、邪魔っ!」

 芙美子の怒号が飛んだかと思うと、店長の体が向かいの女性客のボックス側に飛んだ。

 芙美子が店長を蹴ったのだ。だが、あの姿勢で、どうやって蹴ることができたのだろうか?


 今度は、女性客の別の意味の悲鳴が上がった。

 転げ込んだ店長は、女性客のスカートの足元の床にその体を横たえていたのだ。

 店長は、芙美子に何をされたのか分からない様子だ。天井を仰ぎ見るその顔が、まるで、女性のスカートの中を覗き見しているようにも見える。

 スカートの中を覗き込まれていると勘違いした女性は勢い余って、ヒールの踵で店長の顔を踏んづけた。「もうっ、いやらしいっ!」

 店長は「ふごっ」と呻き声を洩らしたが、すぐに気を取り直し、女性客にしきりに謝った後、若いウェイトレスに「君、はやく、警察に連絡するんだ!」と指示した。

 

 だが、次に大きな変化があった。

 今度は、芙美子が大きく悲鳴を上げていた。

 いや、正確には、芙美子だった女性だ。

 その女性は自分の両手を広げて見て、「血、血だわ!」と叫んでいた。

 その顔は芙美子の顔ではなかった。

女は、この店に入ってきた時の顔だった。

 全く知らない、会ったこともない女性の顔だった。芙美子と同じ所と言えば、髪が長いということくらいだ。

 

「ぐわあああっ」

 近藤が顔を押さえて叫び声を上げだした。ようやく芙美子の両腕から解放されたのだ。

 異様な声だった。口が裂けているので上手く声が出ないのかもしれない。

「目がっ! 目があああっ」

 近藤の目がどうなっているのか、分からないが、仮に潰れていなくても、自分の血で視界は塞がれていて見えないだろう。


「私、ここで、何を?・・」

 芙美子だった女は、ボックス席にへなへなと座り込み、そう言った。

「ここで何を?・・じゃないよ。あんた、この店で何てことをしてくれたんだ!」

 店長は女を叱責して「警察を呼んだからな」と言った。

「け、警察?」

 女はそう言って、「私、なんにもしていないわよ!」と抗議の声を上げた。

 向かいの女性客たちは、「信じられない。何なの、あの女」と侮蔑の視線を投げかけている。

 その頃には、他の客も集まりだし、ようやく、俺も体を動かすことが出来た。

 物事は、ほんの数分の間にあった出来事だったのだろう。

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