第10話 口止め②

「だがな、変なんだ。彼女を全く抱いている気がしなかった。まるで・・そう、死人のようだった」と近藤は言って、「相手が死人だと、俺も死んでいるんじゃないか・・そう思えるほどの感覚だった」

「死人?」

 まさか、そんなこと。

「それに・・」近藤は言い澱んだ。

「なにか、まだ気になることがあるのか?」

「ああ」と近藤は小さく言って、眉をしかめ「異様に手が大きかった」と続けた。

「手が大きい?」

 芙美子の手は、つき合っていた頃に何度も見ている。だが、それほど印象深い手ではなかったし、取り立てて言うほど大きくもなかった。

「それに・・」近藤はまだ何か言いたげな様子だ。

「他に、気になることがあるのか?」

「いや、俺も、学生時代、そこまで市村芙美子の体を見ていたわけじゃないんだが。この前に会った芙美子は、背丈が高かった気がする」

 背が高い?

「たぶん、気のせいだと思う。背なんて簡単に伸びるはずもない」近藤は天井を見上げ、そう言った。

 

 そう言う近藤に俺は訊いた。

「おい、近藤・・もしかして、芙美子に、俺の住所や電話番号を言ったのか?」

 すごくイヤな予感がした。

 芙美子の手の大きさや、背の高さんなんて、この際どうでもいいことだ。 


 すると、近藤は、俺に向かって両手を合わせ「すまん!」と言った。

「おいっ、連絡先を勝手に!」

「いや、そこまでは言っていない。だいたいの場所を洩らした程度だ」

 少しホッとしたが、それでも、家を特定することは可能だ。


 そして、近藤はこう言った。

「この話、彼女から、きつく、口止めされていたんだけどな」

「え?」

 俺がそう言うと、近藤の顔は、悪戯を親に見つけられた子供のような顔になり、

「そうそう。忘れてたよ。うっかり、中谷にしゃべっちまったぜ」と頭を掻いた。

 俺の方こそ、忘れていた。近藤は女に手が早く、しかも、口が軽い。


「どの部分を口止めされていたんだ? 近藤が芙美子と会ったことか?」

 俺の問いに、近藤は、「ま、似たようなもんだが・・」と言った。

「似たようなこと?」

 そう言うと、近藤は、厭らしい笑みを浮かべ、

「俺が・・芙美子と寝たことだよ」と答えた。

 そういうことか・・近藤は口の軽い男だ。

 俺は、「やはり、そういうことは、他人に言うべきことじゃないと思うぞ。相手に失礼だ」と戒めた。俺にそんなことを言う資格はないことは分かっている。

 俺がそんなありふれたことを言っても近藤は聞く耳を持たないだろう。


「そんなことはわかっているさ。言ったのは、もののはずみだ」

 予想通りの答えが返ってきた。

 俺が答えないでいると、

「大したことじゃないだろう? 俺もそうだが、向こうも大人の女だ。それくらい芙美子も許してくれるだろうさ」

「けれど、かたく口止めされていたんだろう?」

 芙美子は、近藤に抱かれたことを俺に知られたくない。そう思っていたということだ。

「ああ、くどいくらいに口止めされたよ」

 そう言って近藤は思い返すように続けた。

「それだけは、絶対に中谷くんに言わないで・・でないと・・」

「でないと?」

「俺が、もう二度と、口をきけないようにする・・そう言っていた。ま、ただの冗談だろうけどな」近藤はそう言って「ははっ」と大きく笑った。


「いや、冗談じゃない」

 そんな気がする。芙美子がそれほど言っていたのだから、それは尊重すべきだ。

 だが、俺がそんなことを言ってどうなる?

 なんだか、気分が悪くなってきた。食事をせずに、コーヒーだけにしとけばよかった。


「近藤。いずれにせよ、口止めされたことは、守った方がいい」俺は柄にもなく近藤を戒めた。

「なんだよ、中谷、俺を説教するのか? らしくないぞ」そう言って近藤は笑い、残りのハンバーグを口に放り込んだ。

 

 俺は、そんな近藤を見ながら、何かしら苛立ちを覚えていた。

 芙美子に関する苦い記憶を思い起こさせることになったのは近藤のせいだ。

 記憶の奥底に封じ込んでいたのに、思い出させやがって・・

 俺の勝手な都合だが、近藤を恨めしく思った。

 元々、近藤のことは学生の頃から、好きではなかった。近藤の周囲の人間も女の子たちと仲良くする目的だけのサークルを作り、ひたすら遊びに明け暮れていた。

 何が楽しくて、こんな奴と飯を食っているんだ!

 俺の心の中に、そんな悪意の念が渦巻き始めた。


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