第9話 口止め①
◆口止め
「雨、やみそうにないわねえ」
隣り向かいの女性が言った。若い女性同士の客だ。
ウェイトレス同士が、外の様子を見ながら、「停電になったら困るわね」と言っている。
後ろの女性は、本でも読んでいるのだろうか、時折、ページを捲る音が聞こえる。
近藤は、「これだけ雨に降られると、家に帰るのは、小降りになってからでないと、ずぶ濡れになるぜ」と、外の様子を伺いながら言った。
だが、俺はそんな外の様子よりも気になることがある。
あの時、芙美子は死んではいなかったのか? 生き長らえていたっていうのか。
だが、近藤にそんな話をするわけにはいかない。遠まわしに探りを入れるだけだ。
「なあ、近藤・・」
「なんだ?」
「どうして、芙美子は、俺のことを出すと、お前の誘いに乗ってきたんだ? それ、おかしくないか? 軽すぎる気がするんだが」
「俺もそう思うよ」と近藤は言った。「けれど、本当なんだ」
「俺のどういうことを言ったんだ?」
「市村芙美子が訊くからさ・・彼女は、俺に、中谷くんの友達でしょう? と言って、中谷がどうしているか、しきりに訊いてきたんだ。俺は最近の中谷は知らないが、お前が結婚して、娘さんが大きくなるまでは知っているからな。そんな話を、最初は喫茶店、食事、そして・・わかるだろ?」
「つまり、俺の話がきっかけで、芙美子と関係を持ったという訳か?」
俺の問いに近藤は薄ら笑いを浮かべた。
「しかし、俺の話題だけで、短い期間にしろ、よく続いたもんだな」俺は感心したように言った。
「だろ? 俺もそう思うよ」と近藤は笑って、「でも、俺にしちゃ、そんなことはどうでもいいんだよ」と言った。
なるほど、芙美子を近藤の女性遍歴に加えるだけ、そのことにしか、近藤は考えていなかったということだ。
俺がつき合っていた女とそんな風になるとは、随分失礼な奴だな、そう思ったものの、それ以上に芙美子の存在が大きく膨らみつつあった。
「中谷、悪いけれど、俺は、お前のことを色々と話しちまったぞ。もちろん、大した話じゃない。中谷が、いい所のお嬢さんと結婚した話。中谷の性格の話。高校の時のエピソードや、何度か飲みに行った時のことなんかも話したよ。それを・・」
「それを?」
「ああ、芙美子は、俺が話す中谷のことを、頭の中に刻みつけるように聞いていたよ」
頭に刻みつけるように・・
その時の芙美子の顔を想像すると、背筋がゾッとした。
「中谷くん・・」頭の中で芙美子の俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたほどだ。
「しかし、それで、ホテルまで・・信じられないな」俺は疑うように言った。
それほど、俺のことが頭にあるのなら、どうして、近藤のような軽い男と・・
「ああ、俺もそう思ったけど、彼女、こう言っていた」
「芙美子は、なんて、言っていたんだ?
「・・私、お礼は、必ずするのよ・・そう言っていた」
近藤に体を任せることが、お礼なのか? ありえない。
そんな近藤自身も芙美子の術中にはまったのではないだろうか?
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