第8話 洞窟③

 そんな暗闇は人にある種の勇気を起こさせるのかもしれない。

 あの中に、芙美子が落ちてくれたら・・

 いや、無理に、突き落とせば・・

 そんな考えが浮かぶと、それは、何かの悪意の塊のように変化し、俺の頭の中を覆っていった。俺の中を悪魔が巣食ったようだった。

 もう止めることが出来なかった。

 そう思った次の瞬間、

 気がついたら、芙美子の姿が消えていた。

「あっ」

 芙美子の小さな声が聞こえた。

 慌てて、声の聞こえた方に懐中電灯をかざすと、

 芙美子は地面の裂け目を滑るように落ちていくところだった。

「中谷くん!」

 芙美子の俺を呼ぶ声が地面の裂け目に消えていった。


 俺は懐中電灯で穴の中を照らした。穴と言っても、真っ直ぐではなく、急な勾配の断崖のようなものだ。

 その奥は深く、電灯で照らしても、底まで光は届かない。まるで闇の中に、光が吸い込まれていくようだった。それに加えて、岩肌がぬめっていて、少しでも歩み寄ると、滑って転げ落ちてしまいそうだ。

 それに、穴の深さがどれくらいなのか、わからない。助けようにも、降りていくこともできない。そんなことをしたら、俺も同じように落ちてしまう。それに、こんな場所だ。助けを呼んでも誰も来ないだろう。

 何度か、芙美子の名を呼んだが、声は返ってこなかった。

 愕然とした俺は、その場にへたり込んでしまった。

 俺は何て事をしてしまったんだろう。

 どうする? 外に出て、助けを呼ぶべきか。


 だが、助けを呼んだとしても、こんな状況だと、俺が何かの犯罪者に見られはしないだろうか? 俺が疑われる・・そんな不安もよぎった。

 そうなると、俺の新たな未来が捻じ曲げられることになってしまう。

 俺の頭の中に、縁談相手の女性の姿が大きく膨らんでいった。

 ・・助けを呼んではならない。

 それは、何かの決め事のように俺の中を支配し始めた。


 そんな中、ふとおかしな考えが頭をかすめた。

 ・・俺は本当に、芙美子を地面の裂け目に突き落としたのだろうか?

 ひょっとして、芙美子は自ら・・

 いや、そんなことはないはずだ。芙美子が俺から離れる道を選ぶはずがない。芙美子は俺と一緒にいたかったはずだ。


 だが結局、芙美子は、洞窟の中で行方不明になったのだ。

 そして、俺は捜索願いも出すことなく、その場を逃げるように立ち去った。

 そんな俺の姿を誰も見ているはずがない。

 二人で入って、一人で出てきた。誰も気がつきはしない。

 俺のした犯罪を知っている人間・・それは、市村芙美子本人だけだ。


 芙美子に家族がいたのかどうかも知らないが、そんな問い合わせもなかった。

 あれきり、芙美子には会っていない。

 ということは、芙美子は、やはり・・


 芙美子が学内から消えたのにも関わらず、誰も芙美子の話をする者はいなかった。

 大学内に、芙美子は友達もいなかったようだ。

 芙美子は、孤独だったんだな・・


 故に、近藤が芙美子に出会うはずはないのだ。

 洞窟に落ちた芙美子を置き去りにしてきたのは、俺が殺したのも同然だ。

 あの日以来、姿を見せない芙美子は死んだはずだ。

 直接ではないにしろ、俺は芙美子を殺めたのだ。


 その後の俺は、その非人道的な記憶を忘れる為、無我夢中で、人生の昇りコースを歩き始めた。

 だが、忘れることなんてできるはずもない。ただ、記憶を操作していたに過ぎなかった。

 

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