第22話 呪文

 部室に戻って、先輩の姿を目探し。もちろん彼女はいつもの定位置にいた。


「おや、袴田君。ホールの飾りつけを手伝ってたんじゃないのか?」


「ちょっと、それどころじゃなくなりまして」


「ふむ?」


 先輩は怪訝そうな表情で、耳を澄ませるようなそぶり見せた。そして一呼吸おいて「なるほど」とつぶやき、うなずく代わりに唇を引きゆがめた。


「何か小さなものが旧校舎内を走り回っている……何だ、こいつは?」


「ああ、ツリーの飾りに入ってたサンタです。ヒトデみたいな形の」


「ははあ。あの気色悪い奴か……確か去年も飾りつけに使われていたはずだ。覚えている」


 ああ、先輩でもあれは気持ち悪いのか。


「だが、昨年は何ごともなかったな……」


「そうなんです?」


「なかったよ。考えてもみたまえよ君。去年何かあったなら、そんな怪しげなオーナメントは焼いて捨てるだろうさ」


 そりゃ確かに。ちなみに連絡会の方から回ってきた、昨年度の会計報告書と付随する資料によれば、季節行事用のああした備品類は、最短五年で更新されている。


「二階へ上がって……おそらく屋根の上へ出ようとしているな、どうやら。何をするつもりだ……? 袴田君、すまないがしばらく肩を貸してくれ。現場で直接確認したい」


 先輩はそういうと、髪の毛をあやつって僕の上半身に絡みつき、左肩の上に顎を乗せた状態で自らを固定した。


「少し話しにくいが、構わん。行くぞ」


「……先輩が動くってことは、『小文化祭』じゃ足りないんですね?」


 ホントはもっと聞きたいことがある。さっきの疑問――「人型(=大の字型)」と「頭部」に関わる、恐らくは共通の原理とか。先輩が旧校舎内に結界を張ったり、校舎内の状況を細かく把握できたりするカラクリとか。


 だが、足早に移動しながら先輩と会話しているこの状態では、なかなか自分の思うペースで話を転がすのが難しいのだ。 


「うん、少し厄介だなこれは……実体のある物を核にして出てきてるから、網を掛けただけでは抑えきれんし」


 相変わらず、先輩のこういう説明は謎めいていて僕にはさっぱり分からない。分からないのだが、ここしばらくの経験を振り返れば粗雑ながら推測はできる。


「つまり、この間の『痩男』やベートーベンみたいに……?」


「そうだな。あれらはどっちも概念的な『顔』もしくは『頭部』を核というか、存在のキーにしている。ベートーベンのほうは私が力を分け与えてああいう風になっているわけだから、眷属のようなものだ。旅行で離れる時にはこれまでも留守を任せてきた。一方あの能面の方は、出てくる仕組みは想像がつくが……正体はどうもよく分からないな」


 話しながら、階段を上っていく。これは外からでもわかるのだが、我らが旧校舎の階段スペースは最上部が屋根の上に突出したやぐら状になっていて、そこから修繕や清掃のために、業者が出入りできるようになっているのだ。

 当然ながら生徒の出入りは禁止されているのだが、僕たちはいま、その最上部の扉へと向かっていた。照明器具をつけられていない階段は暗く、埃が舞っていてかび臭かったが、てっぺんのどん詰まりには何か動くものの気配があった。


「いたぞ」


 先輩がそうささやくのとほぼ同時に、キィ、と軋む音がした。


「ドアが……!」


 覚えている限り、そこのドアは掛け金と南京錠というえらく古臭い方式で施錠されていた。だが今は二十センチほどの幅に押し開けられて、そこから階段へ光が射し込んでいる。どうやらヒトデサンタたちは既に屋根の上に出ているようだった。


「袴田君、高い所は苦手かな? 我々も屋根の上に出ようと思うのだが」


「得意じゃあないですけどね……先輩と一緒なら」


「可愛いことを言うじゃないか」


 気合いを振り絞って瓦の上に出た。釉薬をかけたタイプではないのでまだしも足が滑らなくて助かるが、おりから吹きつけてくる冬の、高所の風は身を切るように寒くて僕の身をすくませた。


 ヒトデサンタたちは、と屋根の上を見渡せば――奴らは棟部分の瓦の上に並び、何やら身体をその場で水平にして、くるくると回転しだしていた。目を疑うことに、やがてそれらの赤いヒトデ型の物体は、まるで小さなヘリコプター、あるいはドローンや竹トンボよろしく、ふわりと宙に浮きあがったのだ。


「お前たち、どこへ行く気だ……?」


 ――世界中のよい子に、贈り物を届けに……!


 先輩にそう答えて、ヒトデサンタの編隊が上昇していく。だが、目測にして三十メートルも上がっただろうか、ある高度を境に彼らは不意に回転を途切れさせ、ひらひらと風に舞ってどこかへ飛ばされ落ちていった。


「……所詮は器物か。即席の付喪神とでもいうところだが、借りた力の源から離れたのは、不遜という他はなかったな」


 先輩が安心したように、ほっと息をついた。


「何だったんです、あれ」


「……オーナメントさ。ただのオーナメントだが、たまたまこの場に在った力を吸収し、付与されたイメージと役割に従って、『そういうもの』になろうとしたわけだ。旧校舎に存在する術法と、馴染みのいい形をしていたのが、幸いというか災いというか」


「術法……? 馴染みのいい、形……」


 もしや。さっきの疑問、頭の中で固まりかけていた考えが一気に結晶する感覚があった。


「あ、うん。これは少し喋り過ぎたか……だが、まあいいか」


 先輩は僕の肩に巻き付いたまま、耳元でささやいた。


「ある程度は想像がついているんだろう。もとはただのろくろ首だった私が体を維持する必要のない『生首』になったのは、明治時代の最後の年のことだ。この学校を建てる時に、知り合いの魔術師と一緒に手を廻してな。校舎を大の字に設計して、首から下を概念として校舎と置き換えた」


 僕はしばらく返答ができなかった。理路は整然としているが、途方もない話だ。そして、おおよそ僕の想像と推論を裏切らないものでもあった。


「……魔術師とか、日本に居たんですね」


「うむ。奴はフランス人だったかな。あの時代はまあ、その後に比べると外からいろいろなものが入ってきやすくはあったのだ」


 魔術師の出自はどうでもいいのだが、とにかくこれではっきりした。先輩がとくに伝承上のろくろ首のような弱点を持たないのも、この校舎に対して高度の影響力を及ぼせるのも。すべてその術法のなせる業なのだ。

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