第19話 置き去り

 なんだかんだで遅れていた僕の短編小説だったが、二学期の期末試験が終わるころどうにか仕上がった。

 タイトルは「急がばドリブル」。


 熱海旅行で出くわした一連の不思議体験をベースに、生首だけの少女とともに熱海を散策する少年の、エキセントリックな慕情と旅情を思い入れたっぷりに描いたものだ。旅行前から構想していた作品はひとまず没としたが、そのごく一部を流用してはいる。

 タイトルを知った先輩には「蹴るのか」と難色を示されたが、全体としては我ながらなかなかの出来栄えだと思う。


 ただし。

 文芸部部室に保存されている、歴代の文芸部部誌「大の字」のバックナンバーには、だいたい二年おきくらいの頻度で、よく似た設定の生首と少年の交流を扱った短編が収録されている――何だ、その頭おかしい伝統は。


 要するに。僕のように生首、すなわち化野先輩に魅入られ絆されて、彼女の奉仕者めいた三年間を送る男子生徒は、古来から連綿と跡を絶たずに現れて来たわけなのだった。


 今日は皆で入稿前の校正チェック作業をやっている。さほど分厚くもないオフセット印刷A5版の冊子、手の空いた部員が五、六人もいれば、程なく終わる程度の仕事。

 少し目が疲れていた僕は、部室の隅に置かれた古いソファーにしばし体を預け、背もたれと壁の作る具合のいいコーナーに収まった先輩と、ほぼ同じ高さに頭を並べていた。


「君たち二年生の活動も、この『大の字』を発行し終われば大きくひと区切りなのだな」


 感慨深そうに先輩が吐息をついた。


「ですねえ。三学期は短くて部誌どころじゃないし、四月からは僕らも三年ですし。部の運営は今の一年に引き継いで……あとはまあ、時々冷やかしに来るくらいですかね」


「ああ、そうだな……卒業した去年の三年生も、ちょうどそんな感じだったよ」


 なにやら少し、寂しそうな声。


「……梧桐君も、な」


 そういえば。顧問の国語教師、梧桐先生はかつて、この学園の生徒で、文芸部員だったのだ。十五年前のことだ。


 高校生ながらかなり突っ込んだ感じで、物語解釈やキャラクターの類型についての論議を先輩と交わしていた、ということらしい。当時の梧桐先生が書いた批評やエッセイはその時期の部誌で読むことができるし、現在の先輩が時折口にする文学観や創作論には、どうもその影響が色濃く反映されている。

 

 梧桐先生は先輩のお気に入りだったし、二人は――敢えて言うならば両想いのカップル、と言える関係だったのだろう。それでも、二人の道は分かれてしまった。

 ほぼ永遠を生きている首だけの妖怪であり、どうやら学園というこの「場」に縛られているのであるらしい化野先輩。彼女は毎年、ここで見送る側だ。卒業していく人間の生徒を追うことはできない――


 ハッ。


 笑い声に近い、短いため息が出た。


「……留年しようかなぁ」


「何を言ってるんだ君は。バカか」


 一蹴された。


「……君は人間だ。君たちには人間として、社会の中で役割をもって生きていく責務がある。人生たかだか五十年、短い命の貴重な時間を、一年だって無駄にしてよいものか。それに留年などしてみろ。学費を負担するご両親の嘆きはいかばかりか」


「……自称ろくろ首に人の道を説かれた」


「いかんか」


 そんな筋合いはない、とは言いにくい……いや、やっぱりない気がする。あと、人間五十年はいくらなんでも認識が古すぎる。妙な戦争のおかげで少し目減りはしたが、それでも今どきの平均寿命は大体七十五歳ちょっとというところだ。五十年に対して五割り増しですよ。



 ――袴田。


 部室中央のテーブルの方から、梧桐先生が僕を呼んだ。


「はい?」


「そろそろ作業に戻ってくれ。もうすぐ終わるからな。あと……化野はその辺にいるのか?」


「はい」


 要請と質問、両方に答えてソファーから立ち上がる。


「そうか……いるならいいんだ。うん」


「……連れて来ましょうか?」


 梧桐先生はこちらをまっすぐ見るのではなく、横目で窺っていた。その横顔が何かひどく寂しげに感じられて、僕は思わずそんな風に訊き返した。

 梧桐先生の返事はなかった。だが化野先輩は僕の手首に髪を絡みつかせて、小さな声で「うん、頼む」とささやいた。


 入稿前チェックが完了するまで、先輩はずっと先生の左側、肘や腕がぶつからない程度に離れた場所でたたずんでいた。生首なりに。

 誰かが気を利かせて運んできた例のセーラー服が、彼女の所在を静かに主張していた。

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