第18話 椿

「やらせんぞ! 全部はやらせん! なあ、わしゃピアノを弾きたいんじゃよー! 誰もいない夜中にピアノ弾けるくらいは残しとってくれても良かろー!?」


 先輩の黒髪で額縁ごと締め上げられながら、楽聖の複製肖像画は必死に言いつのった。ピアノ弾けるのは驚きだし大したもんで偉いが、こんなベートーベンは嫌だ。


「強欲だなぁ。『学校の七不思議』を二つも、一度に一人で抱え込むやつがあるか。だがまあ、よかろう……留守番ご苦労だった。休めよ、ベートーベン」


「いゃじゃじゃじゃーーーーん!!」


 先輩の髪がぼんやりと脈打つように発光し、その律動が肖像画から生首へと還流していくのが見える。黒髪がほどけて引き戻されると、額縁が微妙に緩んだのか、複製画はぺらりと抜け落ちて床の上を滑った。


 ――ええい、おのれー! 四捨五入すれば同じ生首じゃろうに、数多様は何故いっつもそう上から目線で勝手なんじゃ……立体か? 立体が偉いのかー!?


「はいはい、ベートーベンはあとで音楽室に戻してあげるからね、大人しくしとこ?」


「ギャワー! 丸めるなー!」


 床の上で微妙に表情の崩れた顔のままぼやき続けるベートーベンを、高浜キョシはくるくると筒状に丸めてしまった。筒を握った手の中ではまだ何かわめいているがもはや何を言っているか分からない。


「よし、力が戻った。これで結界の網目をきつくできるぞ。それ……どうだっ!」


 先輩の言葉と気合にあわせたように、辺りの空気が、ぎし、と軋んだ。セーラー痩男が両腕を面の前にかざして抵抗の様子を見せる。


 ――がァッ……ヤメロ。読め……ゲンコウ……


「読めば、いいのか?」


 ふいに、北原がハッとしたようにそう口にした。


「何だか知らんが、自信があるなら読んでやるよ……貸せ」


 北原は注意深く痩男に近づくと、その手から二百字詰め原稿用紙を受け取った。


「なになに……?」




==========


大文字学園について(※)


 明治時代に設立されたこの大文字学園にはいくつかの興味深い逸話があるが、その最たるものは改築前、昭和四十八年までその全容を保っていた旧校舎についてであろう。

 当時の校舎は五角形をした講堂を中心として放射状に広がる形状をしており、そのまま「大文字」の名称にちなんだものであった。

 米国防総省のような例もあるにはあるが、日照などを考えれば明らかに不条理な設計である。なにか秘せられた意味があったのではないか? (198文字)


==========


 北原はそこまで一気に読み上げると、へえ、と声に出して笑った。


「なかなか面白いじゃないか。『旧校舎』の全貌なんて知らなかったな……いいじゃない。よし、この原稿は預かっとくよ」


 ――ふ、ふふふ……


 それを聞いたセーラー痩男は、満足そうな含み笑いを上げると、かくんと力が抜けたように崩れ落ち、そのままセーラー服と痩男に分離して動かなくなった。


 * * * 


 怪異はあっけなくそれで幕切れとなったが、文芸部の部室に引き取った僕たちは、そこにがないことに気付いて一時騒然となった。


 慌てて広報研の部室まで戻り、床の上にくしゃくしゃと投げ出されたそれを回収する。あれは紛れもなく、普段は文芸部の机上に畳まれていたあのセーラー服そのものだったのだ。



「あいつ結局、何だったんですかね」


 また別の日。僕は部室で先輩の斜め前に腰掛け、端末をいじりながらそんな風に事件のことを蒸し返していた。


「さて、私にもよくわからんが……どうも、文章を書いて何かに載せることに強い執着があったようだ。昔の、文士志望の青年とかだったかもしれんな。仮想上の体にセーラー服をまとったことについては、あまり考えたくないし知りたくないが」


「ああ、まあ確かにいやですね……」


 痩男の面はといえば、その後は元通り和室の鴨居にかかったまま、大人しくしているらしい。そして音楽室からは深夜になると、誰が弾くやらピアノソナタ第14番嬰ハ短調、「月光」のややたどたどしい演奏が聴こえてくるとやら。


「生首と能面と肖像画ってさあ、変な取り合わせよねえ。全部『頭』だし」


 高浜キョシが首を傾げながらそう言って笑った。正岡シキは机に突っ伏して眼だけを周囲に向けて「私も、見たかったなぁ」とぼやいている。


「――椿……枝椿……ううん」


 唐突に高浜キョシが口ずさみ始めた。俳句が一句、生まれかけているらしい。


「……なんだ。今の季節には合わないな、季語としては?」


「いいんですよ先輩。山茶花や寒椿じゃあ、散り方が違うでしょ」


 にへっと笑った高浜キョシに、先輩がむすっと眉をしかめた。


「まて。ということは……もしかして、それは首が落ちる句か?」


 です、とうなずいたギザ歯の口元から、句の残りが滑り出る。



 枝椿えだつばき 未だ一輪を とどめたり――



 なるほど、うんうん、とうなずく僕と正岡シキ。無言の先輩。高浜キョシは先ほどの笑い顔を貼りつけた顔のまま言った。


「下の句を十四文字足せば、になりますね」


「ば、バカ者っ」


 そうなじる先輩の声には、やや力がなかった。




註※

 このタイトル部分は、当然ながら原稿用紙のマス目外に記されている

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