第16話 面

 猫と先輩のにらみ合いは二十秒ほど続いた後、双方からの「にゃごにゃご」という絡まったような声で幕を閉じた。

 

「よしよし……良い子だ」


 先輩はそう言って珍しく自力で僕の腕の中から飛び出すと、次の瞬間高浜キョシの手元にすぽん、と収まった。

 

「ひゃっ!?」

 

「袴田君。その仔猫たちを、プランターごと運んでくれるかな」


「いいですけど、どこへ……?」


 高浜キョシの胸のあたりに抱えられた先輩は、もぞもぞと何やらかすかに動こうとした。どうもうなずく動作をしたかったらしい。

 

「旧生物室の南側勝手口に小さなポーチがあるだろう? あそこなら屋根もあるし水もたまらん。日当たりもいいし、何より君らが普段使わないから、猫たちが安心して暮らせる」


「ああ。あそこなら、確かに」


「この母猫も本来はあそこをねぐらにしたかったのだが、行きつく前にこの花壇の辺りで産気づいてしまったと言っている」


「……先輩、猫語話せるんですね」


「あー。この学園に来るよりだいぶ昔、化け猫の遊女と親交があってな。あの頃はまだ、私にも自前の体があったんで自由が利いたものだったよ」


 へえ、と感心した風に相槌を打つ――まあ打つしかないのだが。

 母猫は先輩の言を裏付けるかのように、少しよろけながらも先頭に立って歩いていく。僕は仔猫たちを取り落とさないようにプランターを懸命に支えて運び、高浜キョシは先輩を運んだ。

 

 ポーチは西側と南側を低い壁に囲まれていて、二段ばかりの階段を伝って前庭に降りるようになっていた。そこにプランターを置いてやると、母猫は安心したように中へ潜り込んだ。

 目の開いていない三匹の仔猫が、たちまち横たわった母親にむしゃぶりついて、懸命に乳を吸い始める。小さな頭がひくひくと動いて、そこに命があるのだと実感させた。

 

「これでよし。うむ、猫はやはり可愛い……良いなあ」


「ネコチャン……良かったねぇ」


 先輩と高浜キョシは満足そうにしていたが、やるべきことはまだあった。

 

「あとは、さっきのとこから餌と水の容器を持って来て、それに……他の部の連中にも知らせとかないとね」


「ああー、そうだね!」


 高浜がぱあっと顔をほころばせる。あいかわらずギザ歯がぞろんと口元に覗くのが台無しだが、こいつは大体が陽気で心根が優しく、いい奴なのだった。

 

 先に餌と水の件を片づけて、僕たちは校舎内へ戻った。ちょうどよく「広報研究部」の部室に人の気配がある。

 彼らは学園内での、携帯端末を介したニュースやコンテンツの配信が活動のメインだが、昔ながらの校内新聞も製作している。紙面のレイアウトやカラーリングといったノウハウは、電子配信にもいろいろと応用が利くというわけだ。ともあれ三人でぞろぞろとその部屋へ入った。

 

「やあ、文芸部の」


 机の上からこちらへ顔を上げたのは、広報研究部の部長。二年の北原だ。

 

「君らの方からここに来るのは珍しい。どした?」


 ああ、と相槌を打って猫の件を話す。

 

「お、いい話だね。じゃあ早速ニュースで流すよ。餌買って来る子らも迷わずに済むだろ」


 北原は言いながらすぐに携帯端末をいじってニュースメールを一斉送信し、僕の端末も着信を知らせてチャイムのような音を響かせた。だが会話の主導権はいつしか高浜キョシと先輩が握り、僕は間が持たなくなって、部室内を見回した。

 

 部屋にはもう一人、広報の部員がいるようだった。少し離れたところの机で、何か書き物をしている様子。今どき珍しく、紙と鉛筆――それもちゃんとマスの印刷された、二百字詰めの縦長型のやつらしい――いや、待て。

 

 その部員らしき女子生徒は、こちらに背を向けて座っている。角度的に僕の位置からは彼女の手元が見えないはずだった。なのに、なぜ僕はそれを二百字詰めの原稿用紙だと、即座に断じたのか――

 

「北原。そこの机にいるの、誰だ?」


「え?」


 いぶかしげな返事が返ってきた。

 

「何言ってんだ? 僕はさっきからここに一人で……」


 言いかけて、北原の舌が凍り付いたように動きを止めた。女子生徒がゆっくりと身体をひねってこちらへ顔を向けると、そこにはやつれた男の黄色い顔を象った、能面らしきものが貼りついていた。

 

「なっ……!?」


「誰だ、君は……!?」


 北原が驚愕の表情を浮かべて誰何する。女子生徒らしきその何者かは、答えないまま椅子を引く動作も見せずに立ち上がった。

 

「気をつけろ、さっきまで私も気づかなかったが、それは人間じゃないぞ!」


 ああもう。知ってましたよ、ここは自称ろくろ首に守られていてさえも、頻繁になにがしかの怪異が発生する建物なんだって――

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