第14話 月
――袴田先輩、これ……
後ろから声がかかる。一年の女子、樋口さんの声のようだった。これ、というからには指示代名詞が指すのは、車外のあの生首ではない。
「樋口君、『これ』はないだろう『これ』は」
「あ、すっ済みません! つい!」
そんな会話が交わされる。なるほど、車内の生首であったか。
振り向けば、両手で支えてこちらに差し出された化野先輩の
「えーと。つまり僕が先輩を運べ、と?」
「まずは外を見られるように持ち上げてくれ。あ、落とすなよ」
「……落としませんよ」
まあこのメンバーの中では、僕の身長は上位にランク入りする。顎の部分を指で支えて高々と差し上げると、先輩は車外を一瞥して「ふうむ」と一声発した。
「生首……生首だな。だが大きさが不自然だ、たぶん熱海で見たのと似たタイプのやつだ」
「ははあ」
あの妙な結界の中で見た、貫一のものっぽい下駄ばきの足がたくさん生えた塊を思い出す。
「それってつまりあのつぎはぎと――」
「うむ。どうも名所旧跡やいわれのある場所には、ああいうのがよく出るようだな。大勢の人間が思い描いたイメージをよりどころに、集まって形を為した雑多な浮遊霊さ」
「じゃあ、あれがお玉の亡霊ってわけじゃないんですね」
「お玉の首とかならとっくに埋葬されているし、化けて出るものなら今ごろではなく、もっと早い時代だっただろうよ……よし袴田君。私を抱えてそのまま外に出てくれるかな」
それは流石にどうだろう、と僕はしばし躊躇した。したが、今は先輩に従う他はなさそうだった。学園の旧校舎のような特筆的ルールがない限りは、怪異はより強力な怪異で上書きするのが最も手っ取り早いとも聞く。
件の大生首は、ある程度の実体を具えているようで、時々小さく宙に浮きあがっては地面に落下する。その着地のたびにかすかな衝撃が、ずん、と地面から伝わってくるのだ。
浮遊霊と侮って車でつっっこんだりすれば、車体には必ずや物理的なダメージを負うことだろう。
先生に許可を取って車外に出ると、大生首がこちらに注意を向けたのが分かった。何やら、おびえたような眼の色にも見えた。
「……セキショ……オウチ、カエル……」
「関所はあっちだ」
捏造品の記憶にすがる、いじましい化け物のうめきを先輩が一喝した。まあ、指差しもせずに「あっち」と言われてもどっちの事やらわかりそうにもないのだが。
「道をあけろ。お前がお玉なら関所に行って、正しく段取りを踏めばいい。さもなくばとっととここで解散して、輪廻の輪に戻るのもよかろう」
生首の虚ろなまなざしに逆上の色が宿った。少し縮みながら空中に飛びあがり、こちらへ向かって押し寄せてくる。その姿はいつしか、人間の頭部と首、毛髪が何人分か集まり絡み合ったパーツとなっていた。悍ましさに僕は震え上がったが、先輩はまるで動じた様子がない。
「やはり複数だったか! 良いことを教えてやろう……旅芸人の一座であれば、箱根の関所は 芸 を 見 せ れ ば 通れるぞ」
とたん、「自認お玉」の大生首は、緊張の糸が切れたようにぽたりと地面に落ちた。そこから色が薄まり、ばらばらに分解してどこかへ消えていく。
「都合のいい話に飛びついて逃げを打ったか。さもありなん……あのような小物、由緒あるこの私に比べれば太陽に対した月のようなものだ。自前の伝説を持たず、借り物のそれすらろくに覚えていられないのではな」
先輩は得意げに鼻を鳴らすと、僕を促して車内に戻った。バスは再び走り出す。
ややあって、化野先輩はくすくすと笑いだしてこう言ったのだ。
「知らんとは思うが、袴田君。箱根お玉が池の伝説には二つ程の類型があってね。一つは江戸で奉公していた娘が、家に帰ろうとして関所手形なしで箱根越えを試みたというよく知られた話――もう一つは、芸を見せて本物だと証立てれば、手形なしでも通れるということを知らなかった、旅芸人一座の一人だという話」
「へえ……?」
後者の方の伝説は、僕は知らなかった。
「それってつまり、もしかして」
「さあ? だからと言ってあれが本物だったとは思えんが」
バスは一路、学園のある東京都内へ向かって走っていく。
結局熱海旅行は終始一貫、先輩に圧倒され頼り切るばかりのありさまで、僕はなんとなく悔しかった。
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