第11話 坂道

 「空震大戦」以来、世界がいろいろともろく不安定になったことは既に話した通り。ちょっと油断をすると、そこらの路上にエグい怪異がまろび出て、ときには人命にかかわるレベルの悪さをしたりする。

 

 とはいえ世の中というやつは良く出来たもので、そうなると今度はこっちの世界の、元からいる神やら霊やらと呼ばれる類のものも、各々がある程度の明確な「意思」を伴って活動を始めた――だいたいそういうことらしい。

 今や大抵の町や村、由緒ある建物や施設にはそれぞれに何らかの存在が陣取っていて、より有害な存在からその場所や住人、利用者を守っているのだとか。

 

「と言ってもまあ、人間の言葉を解さないものがほとんどで、まずコミュニケーションは成り立たないのだが」


 湯呑に突っ込まれた曲がるストローの端をくわえたまま、先輩はそう言った。

 

「そういうことなら、先輩は旧校舎の守護ってことになりますかね? 人語をあやつって会話できるってことは、かなり特殊な部類なんだ」


「ふふん。まあ、だいたい合っている。概ねとても高級な部類ということになると、そう思っておきたまえ」


 得意そうに湯呑の茶を吸い込んで、最後にじゅじゅっと品のない音をたてる。

 

「ともかく、この旅館にもなにがしか守護がいてセキレイを遣いに私たちを案内した、と解釈している。まあ間違ってはいまい……予見めいたことを仄めかしてきたのはよくわからんが」


「何だったんですかねえ……」


 先輩のと同じデザインの湯呑を撫でまわしながら、ポットのお茶を啜る。思ったより香りと味がしっかりしていて美味い。


 僕たちは今、旅館「鶺鴒荘」のこぢんまりしたロビーに座ってくつろいでいるところだった。

 男子と女子に分かれて風呂を浴びたあと、貸し出しの浴衣に着替えて大座敷に集まっての食事。その後は各自で思い思いに過ごしている。少し離れた別のソファーでは、高浜キョシ正岡シキが肩を寄せ合って何ごとかひそひそとささやき交わしているし、一年生は卓球台の周りに集まって負け抜け方式で対戦をやっている。

 

 あと三十分ほどで消灯時間。その後は男女それぞれの部屋に分かれて就寝となるから、こうやって二人で語らっていられるのも今の内だけだ。

 

「まあ、もう大したことは起きるまい……女子部員たちが枕投げなど始めて、うっかり私を投げないかと思うとちょっと心配だが」


「それは」


「三年くらい前の旅行では実際にやられたからな。まあ、とっさに髪の毛で体を固定したから不発に終わったが、そのあとは一時間ほど滾々と説教したぞ」


「わあ」


 投げるやつも投げるやつでひどいが、怒りの形相を浮かべた生首に一時間責められるというのもなかなかに怖いものがあった。しかし、三年前ということは――


「その時の旅行って、やっぱりここに?」


「うむ。だがあの時は鶺鴒が迎えに来るようなことはなかったんだがな」


 そんな話をするうちに消灯時間が来て、僕たちはそれぞれの部屋に引き取った(先輩は引き取られていった)。

 男子部屋では散々っぱら、青臭い猥談や源氏物語よろしくの女子の品定めなどで盛り上がっていて、本式に眠るのはずいぶんと遅くなったのだが――その夜、僕はひどく奇妙な夢を見た。

 

 * * * 

 

 どこかの見知らぬ場所。かなり急な坂道を僕は下り方向に歩いている。なぜか知らないが、坂を上った所には、壮麗な仏塔を具えたお寺があるような気がした。

 

 前方、坂道の下の方から何か大きなものが、ごろごろと来る。動き方としてはまるっきり重力に従って転がっている風なのだが然るにその物体は、後方へなびかせたを回転につれて巻き取っては、またバラバラとほどけながら圧迫感を伴ってこちらへ近づいてくるのだった。

 

 すぐそばに来たところで回転が止まり、物体の詳細が明らかになった。化野先輩の巨大な生首だ。

 

 ――袴田君、そっちは方向が違うぞ。私と一緒に行こうじゃないか。

 

「先輩……!?」


 だが、僕の足は重力に絡めとられたように止まることを知らず、かといって加速するわけでもなく、坂道をてくてくと歩いてただただ降り続けていくのだ。

 

 ――ええい! ままならぬものだな。

 

 転がることをやめてその場にとどまった先輩は、いつもの奇妙にビリビリしたノイズ交じりの声ではなく、コーラス部きっての美声として知られた宮山先輩のような、深々と響くようなアルトでそう叫び、次の瞬間いずれかの方向へ回転を再開すると見えた。

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