第10話 来る

 先輩と連れ立って、霧のかかった街路を歩く。辺りはまだぼんやりと霧に包まれて薄明るいまま。


「……戻りませんね」


「うむ。やはりこの結界は、さっきのつぎはぎあいつによるものではないな」


 先輩は自分の二の腕辺りを指でつついて首を振った。

 

 結界といわれれば、なるほどそんな感じだ。

 皆からはぐれて体感でそろそろ十五分くらいか。この辺で誰かから安否確認の連絡が入ってもいいはずだが、携帯端末には何の着信も入った様子がなかった。

 

「携帯繋がらないですね。他の子が同じような目に遭ってないといいんですが……」


「ああ、多分心配あるまい。君がこんなところに入りこんでるのは、私を持ち歩いてた影響だろうからな」


(――先輩のせい!?)


 なぜか得意そうに顔を天へ向ける彼女と、目を合わせないようにしながら少し眉をしかめた。僕は先輩のことが何というか気になるし、色々とお世話するのは嫌ではない。大げさに言えば「たとえ火の中水の中」なのだが、降りかかる災難が彼女自身の影響ということになると。

 とばっちりというか、助けてもらってもマッチポンプというか――

 

 ぱたぱたと羽音がした。数メートル先の路面に、小さな動くものが降りたって走り出す。


「ふむ。セキレイが戻ってきたようだ。やはり、道を教えてくれるつもりらしい」


 追いかけるぞ、と先輩は僕の手を引いた。二羽の小鳥は薄明かりの中で白い背中を浮かび上がらせ、ちょこちょこと走っていく。それを追いかける僕たちもいつしか小走りになっていた。

 

「ははっ、悪くない気分だ……首から下があるのもたまにはな」


 前方に明かりが見えて来る。何ということのない普通の街灯と、ぽつぽつと灯りだしたショーウィンドウの照明のようだ。自動車のクラクションの音と、バイクか何かのエンジン音も。どうやら出口に近づいたらしいが――

 

「うわ、もうそんな時間になってるのか……!?」

 

 セキレイたちが走るのをやめ、僕たちを見送るようにこちらを見ていた。彼らを追い抜いて通り抜けようとしかけて、先輩がふと足を止める 

 二羽はまたしても、その辺の地面に出来た亀裂の中に片方が体を潜り込ませ、もう一羽がしきりにそれを引っ張り出そうとする姿を演じていた。

 

「お前たち、さっきから一体何をして……? はて。いや……待てよ」


 しばらくセキレイを見ながら考えこむうちが終ったらしく、先輩の体が急激に縮み薄れ始めた。

 

「おっと、時間切れか。すまない袴田君、またさっきの編み袋で頼む」


 ボールネットの口を広げると、先輩はその中にすぽん、と転がり込んだ。

 

「あたたた、鼻が引っかかった……」


「何やってるんですか」


「とにかく行こう、みんな待ってるはずだ」


 ビルの間の路地から表通りを見るような感じになった、空間の境界を抜ける。途端に耳元を風が撫で、夜の街に響く雑多な音と共に、携帯端末空数種類のアラートが響いた。

 

「うわ、ものすごい数来てる……」


 通話やメッセージの着信履歴が酷いことになっていた。個別の着信はいったん諦めて、僕は前方を睨んだ――旅館の看板が見える。

 木造を模した外観の建物で、油土塀のような色をした壁面の上の方、二階屋根の軒に近い部分に「鶺鴒荘」という文字が掲げられていた。

 

 その下で、文芸部の部員たちが数人こちらを見ていた。僕と先輩に気付いて歓声を上げる。

 

「あーっ! やっと来た、袴田君と化野先輩」


 高浜キョシ正岡シキが駈け寄って来る。

 

「何よもう、心配かけて……二時間もの間、返信一つよこさないし!」


「ごめん、ごめんて! ちょっと道に迷ったみたいで電波も悪くてさ……!」


「袴田。化野と一緒だったんだ、お前たち何かに巻き込まれたんだろ?」


 梧桐先生が見透かすようにそういう。もうごまかしようがなくて、僕は両手の平を上に向けて降参のポーズをとった。

 

「あーあ……説明が大変ですよこれ」


「まあ、無事だったのだから梧桐くんも大した叱言は言えないさ」


 辺りはすっかり日が落ちていた。今夜はどうにも、ゆっくり出来そうにはない。みんなに連行されるようにして旅館の玄関に向かいながら、僕は肩に載せたネットの中の先輩に、小声で訊いた。

 

「この旅館の名前……さっきの結界、ここと関係あったんですかね?」


「そうかもしれん。何というか……なかなかお節介な奴らしいな、この旅館の守護者は」


「お節介?」


 少し言葉の選択が奇妙な気がして、僕はおうむ返しに先輩に問うた。

 

「何と言えばいいかな……まあ、いずれ本腰で考える日も来るかも知れんが――」


 そう答えたきり、先輩はしばらく黙りこんでしまったのだった。

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