第9話 つぎはぎ
セキレイたちは一羽が何やら道路の舗装に生じたひび割れの中に潜り込み、首だけを突き出してきょときょとと周囲を見回す様子。そしてもう一羽が周囲を走り回ったり飛び上がったりして、何やら懸命に相手の気を引こうとするように見えた。
何をやっているんだ、という感じではある。だが、見守るうちに小鳥たちは突然連れ立って空中へ飛びあがり、羽ばたきの音を残してどこかへ飛び去ってしまった。
「何だ……?」
先輩がいぶかしげな声を上げ――
「……袴田君、私をこのボールネットから出してくれたまえ。少し、本気を出す」
静かに告げた。先ほどまでとトーンが違う。
「先輩。あのセキレイに何か本気を出す要素を……?」
「いや、セキレイじゃない、それはいったん忘れろ――何か来る。妙なものだ」
先ほどから感じていた湿気が、いつの間にか霧と呼んで差し支えないほど濃密なものとなっている。相変わらず低い位置から差し込む光が、そのぼんやりとした流動物を滲んだように照らしていたのだが、凝視するうちに霧の中でなにかの影がゆらりと蠢いたのが分かった。
僕はうなずいて彼女を肩から降ろし、ネットの口を緩めた。先輩の頬に食い込んだ、ナイロン紐の痕が場違いに滑稽みを添えている。
「先輩、あれは……?」
「よくわからん。わからんが、まあ良くないものだ……幸いそれほどの相手ではないようだが、油断はするなよ」
「うへぇ……」
先輩が本気を出すということは、いつぞやのあの5メートルさん並みのヤバい奴、ということなのだろうか? それほどの相手ではない、と言われてもそもそも尺度が違い過ぎる。正直、僕は足手まといにならないように物陰にでも隠れているのがよさそうだ。
やがて、近づいてきたそいつの詳細が僕にも見えた。
身長(?)はおおよそ二メートル程度。ピアノカバーか暗幕のような黒く分厚い布をマント風に巻きつけた、人型に近似した小山のごときなにか。それが頭のあるべき位置に水兵のような、
下半分からは黒いスラックス風の物に包まれた脚が何本も、周囲へ向かって突き出していて、人間のものと特に変わらないはだしの足先には朴歯の下駄を履いていた。
「な、何だコレ……」
――あたま、みつけたぁ
間延びした無気味な声がその存在から絞り出された。
「何だお前……私が欲しいのか?」
先輩が、少しおかしそうに笑った。
――あ、あたま。あたまつけて、なまえもらう……できあがるぅ。
「先輩、何なんですこいつ……?」
「大体の見当はついた。みたまえ、あの足の下駄。あれは昔見たことがある。明治の中頃の学生がよく履いていた奴だ……熱海で下駄といえば、読んだことはなくても挿絵や戯画の類で君も知っているだろう?」
えーと。
「まさか金色……夜叉?」
「そうだ。尾崎紅葉の人気小説でいちばん有名なシーンは、ここ熱海が舞台。そのイメージを核に、ここらあたりの雑多な浮遊霊が集まり――先の戦争で死んだ軍艦の乗組員も巻き込んで、ああいう形になったんだろう」
「でも、貫一とお宮は実在の人物じゃないんじゃ……?」
「うん。だから、存在の核そのものがいい加減な、いわば熱海つながりのつぎはぎお化けだ……ちょうどいい」
先輩はニヤリと笑うと糸で吊られたかのように空中へ飛びあがって、笑いながらその塊へと挑みかかった。
「このおかしな結界は見たところお前の物じゃない。揺らぎに乗じてもぐり込んで来たんだな? 身の程知らずめ」
セーラーキャップを跳ね飛ばすように、先輩がそいつの肩の上に飛び乗った。
「何やってるんですか! それじゃそいつの思うツボだ、取り込まれでもしたら……!」
思わず叫ぶが、先輩はまるで動じなかった。
――あたまぁ! てにいれたぁ……ぐ、ぐげ? げ、げげ……?
「心配ないよ、袴田君。こいつを構成している浮遊霊、思った通り自分のもともとの姿も想いも覚えていない。その存在たるや世にも希薄極まりないザコだ。取り込むのは――」
じゅるん、と音がしたようにさえ思えた。先輩の首と接触した部分から、怪物は次第に縮みすぼまって、その姿を失い作り替えられていくではないか。
「私の方さ」
先輩に、首から下の体が生えていた。細部が妙にほつれて溶けたような感じでおかしい所もあるが、概ねうちの学園の制服と言えるものをまとった、すらりと美しい肢体。
「嘘だろ……」
「ん、ああ。まあほんの仮初の物だよ。伝承のろくろ首ほど致命的な弱点じゃないが、流石に私も長時間学園から離れると、いささか消耗はする。ちょうどいい養分だよ、この体はあいつの霊力を私が吸収し終わるまでしか持たないが……」
先輩は優雅な足取りで戻ってくると、愉快そうに隣に立って僕と腕を組んだ。
「ここを脱け出して旅館へ着くまでくらいの間は、君と並んで歩けそうだぞ」
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