文芸部小旅行編

第8話 鶺鴒(せきれい)

 学園から貸し切りのマイクロバスで移動する事、ざっと五時間。市街地と市街地の痕跡を通り抜け、何本かの川を渡って、やがて海が見えてきた。


「海だぁああ!」


 一年の中島君が、車窓に貼りつくようにして叫んだ。

 相模湾である。天気が良く波も穏やか、夏場だったら賑わっているのだろうが、あいにくと十一月の気温では葉山も茅ヶ崎も、ビーチに繰り出せるような環境ではない。

 静まり返った海岸には水際から割と近い所に、尖ったシルエットが付きだしていた。先の戦争中に座礁したものらしい、どこぞの国の軍艦だと聞いている。

 そこそこの名所らしく、バスの運転手が気を利かせてスピードを落としてくれて、何人かの部員が携帯端末を取り出して付属のカメラを向け、写真に収めているようだった。

 

 

 僕はといえば、メモ帳アプリを開いて、遅れこんでいる部誌用の原稿をちまちまと書き継いでいた。だがどうにもやりにくい。

 

「袴田君、袴田君。大丈夫か、気分が悪そうだが……」


 隣の座席から、化野先輩が心配そうに声をかけてきた。実際よろしくない。車の振動と手ブレのせいで、視線が安定しないのだ。平たく言うと僕は車に酔いかけている。

 

「……まあ、無理みたいですね。やめて休みます……」


「うん、それがいい」


 画面から目を離し、窓の外を見る――とはいえこっちは車体の右側。海は見えず、眼に入るのは沿道の建物や木立くらいだ。酔い止めには遠くの一点を見る方が良いのだが、この席からではその効果は望みにくそうだった。諦めて目をつぶり、隣の座席へ手を伸ばした。

 

「ん、なんだ? 私に触れたいのか?」


「いや、押さえてないと先輩が床に転げ落ちるかと思って」


「ははん。今まで放置してたくせに、何を今さら……」


 ツンツンした物言いとは裏腹に、先輩は頬を僕の手の甲にひたと摺り寄せてきた。細かなうぶ毛の感触が、桃の果皮をさらに滑らかにしたようで心地よい。神経が落ち着く感じがした。

 

「せんせーい! 座席でイチャイチャしてる人たちがいますぅ」


 通路の反対側に陣取った高浜キョシが半笑いではやし立てる。梧桐先生は在校中のいきさつもあって、僕と先輩の距離感の近さについてはちょっと恨めしそうな顔をするのだが、今日も例によって黙認だった。

 

「放っといてやれ、どうせせいぜいキスどまりだし。それに僕には見えんからな」


 ――キャー!?

 

 女子たちが黄色い悲鳴を上げる。いや出来るわけないだろ衆人環視の中でそんな真似。 

 会話を小耳にはさんだらしいバスの運転手が、微妙極まる表情をしているのがサイドミラーにちらりと映って見えた。


 客観的に考えればどうにも奇妙なことだと思う、ろくろ首であれ首無し騎士デュラハンであれ、部活のメンバーの中に生首がいるというのは。

 だが入部初日こそみんな仰天するものの、彼女の美貌と、気さくさと絶妙な加減の先輩風がブレンドされた物言いと、いざというときの怪異的な意味での頼もしさのせいで、みんないつのまにかこの状況に順応していくのだった。

 文芸部にとどまらず、旧校舎にたむろする文化部の面々は多かれ少なかれ先輩のことを認知していたし、だいたい今のこのご時世、怪異と全く無縁に生活するのも無理な話なのだが。


 

  * * * 

  

 旧JR熱海駅の前で僕たちはバスを降りた。ここから歩いて十分ほどの場所に、今日と明日の宿である旅館が建っている。

 

「袴田君。この扱いは正直、私としては不本意なのだが……」


「仕方ないじゃないですか、バッグに詰めこまれて外が見えないのは嫌でしょ。かといってバイクのヘルメットに擬装して小脇に抱えるのも、万一先輩のことを認識できる部外者がいたら、騒ぎになりそうですし……」


「まあわかるが、頬やらおでこやらにこの紐が食い込むのはどうにもいただけん。あとくれぐれも、振り回してそこらにぶつけたりしないでくれ」


「それはもう、誓って」


 そう。実に申し訳ないことだが、徒歩移動時の先輩の取り扱いは、ナイロン紐で編んだ網袋に詰めこんで、肩越しに背負うというものである。

 つまりサッカーボールやスイカのように。事前にいろいろ実験――気の毒にも梧桐先生を協力者として――した結果、この方法なら先輩を可視状態で一般人に認識させ(つまり必要に応じて避けてもらえる)、かつボールネットに入ってそうな何らかの球体として知覚してもらえるのである。

 

 そうやって歩き出してしばらく――ものの五分ほど。僕は急に、辺りの様子がおかしいことに気付いた。駅に近い表通りだというのに人通りが見当たらず、おまけに早朝のような湿り気と寒さを感じる。低い位置から差し込んでくる日光らしいものも、時間帯に合っていなかった。

 

 朝九時に学園前を出発したのだ。今は午後の三時ちょっと、本来なら西日が射し込んで、影は反対側にできるはず。

 

「ふむ……どうもおかしいな、袴田君」


「ええ。なんか、ヤな感じがします」


「よし、こういう時はまず下腹に力を入れて、しかる後に吸って貯めた息をかッと吐き出して気合いを入れるのだ。私にはそもそも腹がないので、私の分も頼む」


「そんな無茶な」


 気が付けば、通りには看板や標識、電柱の類が見当たらず、どうも現在地が定かでなくなっている。

 

 何かの怪異に巻き込まれたか、と首筋にそそけ立つものを感じていると、二羽ばかりの小さな鳥がつい、と空中を横切って傍らの路上に舞い降りた。白と黒の鮮やかな配色のその鳥は、大きさはスズメよりも二回りほど大きく、長い尾を持っていた。

 

 そいつらが僕たちの前方を、やたらと目まぐるしい足運びでちょこちょこと歩いていく。

 

「これは、セキレイだな……なにか? 道を教えてくれるとでもいうのか?」


 人の前をこんな風に、先導するように走って近づくと飛んで逃げる。ちょうど昆虫のハンミョウがするような振る舞いから、教え鳥という別名があるらしいが、確か――

 

「……交わり方を今教えられても困りますが」


「伊邪那岐・伊邪那美の神話か。君もこんな時に、図太い神経だなぁ……教えられてもできんからな?」


「ええ、まあ責任取れませんしね」


 存在の在り方からするとそういう場合に責任を取るのは年長者だ、と先輩は先日も冗談めかして言ってものだが、さて。藁にもすがる思いで、セキレイの走る方向に歩きだす。

 だが小鳥たちの振る舞いは、見守るうちに次第に、意味の判然としない奇妙なものになっていったのだ――

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