第7話 まわる

 我が大文字学園には前にもちらりと触れたとおり、制服がある。

 

 それも、昨今の基準で言えばちょっと古臭い奴だ――先輩がいつも首の下に敷いている、謎のセーラー服ほどではないにしろ。

 生地の色は水彩のビリジャンよりもだいぶ青に寄った、それでいて完全に青ともいいがたい青緑。美術部の連中ならたぶんぴったりした色名を、絵の具になぞらえてあててくれるだろうか。

 ともかくその青緑のブレザーに、女子なら膝すれすれくらいの同色のプリーツスカート。男子なら1タックで腰回りに幾分のゆとりを持たせたスラックスだ。ともかく、女子のスカートが古臭いというのがまずもっぱらの評価。

 

「せめて色違いのチェックとかなら――」「もうちょっと短く!」「……やだよ寒いよ長くして」「とにかくこの色はないと思います」


 などと、学園の女子に訊けば十人中十人がそれぞれの言いようで文句をつける。仮にそこに変更が加わるとしても、男子の制服にはたぶん変化は及ばないので、こちらにとっては純粋に他人事であるし、まあ長いのもあまりに短いのも痛しかゆしではある。

 とかく男子高校生は面倒くさい生き物なので――と、何故そんな話をここで始めたかというと。

 

 高浜キョシ

 

 両腕を水平に伸ばし、片方づつの足に交互に重心と軸を移しながらくるり、くるりと。気の早い落葉樹が赤や黄色の葉を散り敷かせた校内図書館入り口の、ポーチからは一段下りたレンガ色のタイルの上でだ。

 

 天気は朝から抜けるような快晴。ちょっとした事情で午後の授業は中止となり、僕たち文芸部は部室に集まったあと旧校舎を飛び出したのだった。校内と学校周辺の路地や公園、といったところへ三々五々と散らばって、各々が得意とする表現に合わせたお題というか、ネタ、インスピレーション――そういったものを求めて散策だ。

 

 ここしばらくは特に、こちら側の現実を脆弱にするような出来事や存在も発生せず、学校一帯は安定している。そんな中で、なんとなくふざけてその場でくるりと回り、遠心力で持ち上がったスカートの裾を指さし合ってきゃあきゃあ騒いでいたのが、高浜キョシ正岡シキ。だ。

 だが、正岡の方はすぐに顔色を悪くしてやめてしまった。どうも生来、それほど感覚器やら神経やらが図太くできていないらしい。高浜は調子に乗ってまだ回り続けている。

 フィギュア選手か何かの真似なのか、時々伸ばした両腕を体側に引き寄せ、回転の角速度を上げてくるくるきゅっと、切れのいいスピンを繰り返すごとにスカートはより高く舞い上がった。はいはいグランフェッテ・アントゥールナン。

 

「青葉、青葉ったら……もうそのくらいでやめなよ、袴田君がまだそこにいるし、パンツ見られちゃう!」


 失敬な。別に高浜のパンツを観たくてここにいるわけじゃないのだ。先輩が「私も久しぶりに外に出たいな」などと言うから、抱えて出たのであって。出たのはいいけれど――首って、結構重たい。

 昔々、デパートだかホテルだかの火事があって、煙に巻かれて不用意に窓からの脱出を試みた人が、頭部の重さでバランスを崩し、地面に頭から突っ込んで死んだ――そういう話が、なるほどと実感を持って思い出されるくらいには重量感がある。

 取り落としたらひどいことになりそうだし、僕は既に幾分へばっている。

 

 高浜が昔の少女漫画に出てくるバレエの練習生か、寺院に集まったスーフィー教徒かといった勢いで回る間、僕は先輩を膝の上に載せてポーチの縁に腰掛けていた。

 

「すまんな、袴田君……どうも今日は自分で動くのは億劫で」


「こんな真っ昼間から人目のあるところで、自由自在に飛び回られても困りますから」

 余人には見えないにしても、なんとなく僕が困る。


「それにしてもよく回る。あんなに楽しそうだと、なんだか私もやってみたくなる」


 先輩が先ほどの発言と矛盾したことを言う。動くのは億劫、回ってはみたい――どう考えても僕にしわ寄せがくる奴だが。

 

「分かりましたよ、でもちょっとだけですからね。遠心力ですっぽ抜けて飛んで行ってつぶれたりしたら、後悔してもしきれません」


「いやまあ、さすがにそこまでの事態になったら私だって本気を出して身を守る」


 しょうがねえなあ、と口に出しつつ、先輩を胸の前に抱えて立ち上がった。


「あっこら、向きが逆だ! 私の顔を君の胸板に押し付けてどうする、反転180度だ」


 はいはい。先輩を後ろから抱きすくめる感じで(体はないが)、その場で二、三回くるくると回った。

 

「なあなあ、あのきゅって速くなる奴は?」


「手がふさがってちゃ無理ですよ」


 ホントに僕は何やってるんだろうなあ、と自嘲するうちに、高浜がついに疲れてその場にへたり込んだ――ああ、バカなことを!

 

 ――うええええええ……


 回っていたところで急に止まると、眩暈はてきめんにひどくなる。三半規管の中で動いていた体液が、体が回転を止めた後も流動し続けるため、体感と実際の動きに齟齬をきたすからだ。

 本来ならばこういう場合、急に止まらず少しづつ減速していくのがセオリー。

 

 地面が廻ってる、とうめいてぐにゃりと横倒しになった高浜キョシだったが、ふと空を見上げてその目を輝かせた。

 

「い、一句できた……!」


 おっ、と僕たち三人(うち一人、首のみ)が彼女を注視すると、高浜キョシはあおむけになって詠じた。

 


  ――秋空を 這い蹲って 拡げたり

  

  

「やっぱり、上手いなあ」


 眩暈にさいなまれ地に伏して真上に見上げた空は、前向きに立って見る時よりも随分と広かったことだろう。そして苦しんでいる時こそ、彼方にある美が輝く。


 僕はといえば、先輩の頭を抱きその後頭部を見下ろした感興を、なんとか秋の風物に絡めてみようとしたが、どうにもまとまらないうちに時間切れとなった。

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