第4話 温室

 ――ごめん、ごめんね! 私、女の子が好きなの……!

 

(ありゃ、妙なとこに来合わせちゃったか……)


 「新校舎」と呼ばれているコの字型の本棟に囲まれた、そこそこ広い中庭の一角には、古いガラス張りの温室がある。

 もともとは第二次大戦以前に南洋から持ち込まれた、珍奇な植物を生育させるための施設だったが、いつのころからかガラスのうち何枚かが破れ、本来の目的を果たさなくなったものだ。

 

 それでもなんとなく、ひねこびた極楽鳥花ストレリチアなどが細々と残っていたりと異国的エキゾチックな雰囲気の名残くらいは漂っていて、晩秋のこんな季節には「保温のいい四阿あずまや」という感じになる。

 

 ガラスを通して射し込む陽光も、時間帯によってはそこそこロマンティックな興趣を添えるということで、意中の異性を呼び出して恋情を告白に及ぼうとする奴が後を絶たない。

 

 命短し、恋せよ俺ら。

 何もおかしなことはないし、悪いとも思わないのだが、今日この時に出くわしたのは何とも居心地の悪い場面ではあった。

 

 ――そ、そんな……知らなかった。

 

 思わぬ展開に打ちひしがれ、それでもさらにしつこく踏み込んで翻意を迫るような無粋を働かなかっただけマシ。

 弁えた哀れな恋の殉教者がとぼとぼと温室を出ていく姿を、僕は酸っぱい心持ちで見送った。

 

 

 女の子が好き、とのたまった声の主は聞いた瞬間に知れていた。正岡シキだ。低血圧のローテンションが故に妙に庇護欲をそそるところがあって(正直、分かる)、おまけに時々覚醒したように美少女オーラを発する奴なのだ。

 

 付き合いの浅い男子が、「僕だけが知っている彼女の魅力」にのぼせ上って勘違いするのは仕方ない(わかりすぎる)。

 実際、背筋をちゃんと伸ばして表情筋を働かせると、人間離れした髪や肌が醸し出す神秘性と、本来のモデル並みなプロポーションも相まって実にいいのだが。

 


「よぅ。罪作りだよな、正岡は」


 温室の入り口から覗き込むようにして中へ声をかける。

 

 らくだ色のスクールカーディガンを腰に巻いた正岡は、ブレザーの上着は置いてきたのか、長袖のブラウスにえんじ色のネクタイといういでたちで、地面の草をぶちぶちとむしっていた――

 

(草?)


「ああ、袴田君……見てたの?」


「いんや、幕切れの寸前に通りかかった」


「そか」


 正岡は草をむしり続けている。何してんの、と聞くと彼女は、色の薄い頬にわずかに赤みを浮かべて笑った。

 

「見ての通り、草むしり。屋根の修理をしないから、どっからか種が飛んできて増えちゃうんだよね。もともと植えてある奴が駆逐されちゃうと嫌だから」


 ここ、好きなんだよね――そう言いながら草むしりを続ける正岡シキの足元には、引っこ抜かれた泥付きの小さな葉っぱが次第にたまっていった。

 

「私専用にしたいくらいなんだけど、みんな告白っていうとここ来るからね。まあ、私らには部室あるからいいんだけど」


「……そういえば、昨日は来なかったよな」


「ああ。うん。昼休みにここに呼び出されたんだけど……さっきの子。なのに急な用事で向こうが来られなかったの。それで昼休みつぶれちゃって。バカみたいでしょ」


「はは……そりゃ。でも、それで断ったって訳じゃないってのは、はっきりさせた?」


「うん、説明に時間かかったけど」


 やれやれ。先ほどの哀れな男子生徒に、僕は深く同情した。それはなんというか、実に巡り合わせが悪い。

 正岡シキが好きなのは高浜キョシだ。普段から見てる僕はよく知っている。実はまだ先輩に参ってしまう前、僕は密かにほのかに高浜キョシのことを想っていたのだが、告白する前に二人の仲を知って諦めた経緯があった。

 

「じゃあ、今日は部室に来れる?」


「行く。昨日の『小文化祭』にも乗りこめなかったしさ……青葉の俳句、ウケなかったって?」


「うん、凄いしょげてた」


「あの子、上手いんだけど波があるのよね……」


 猫背をさらに丸めながら温室を出た正岡シキだったが、ふと顔を上げて、頭上から舞い落ちてきた大きなトウカエデの紅葉に手を伸ばした。

 

 その唇が動いて、俳句らしきものが紡がれる。

 

 

 ”舞い落ちる 紅葉と交わす ハイタッチ”

 

 

 ほう、と感心した僕を置いて、彼女はそのまま教室へ向かった。

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