第9話「本と少女とその主」
「本当によろしかったのですか?」
「何がですの?」
「いえ、わざわざヴェーセル様についてきていただくなんて」
「よくってよ。どうせ暇ですし」
「暇?」
「ヒールになったことで、結婚の準備とか花嫁修業とか一切吹っ飛んでしまいましたの」
「ああ……」
二人は、王立図書館まで向かっている。
ジニーが言うには、王立図書館で借りた本を、返却したいのだそうだ。
グラスホッパー伯爵邸にはかなりの本が置かれているが、国内にある出版物ほぼすべてが保管されている王立図書館とは比べ物にならない。
ともあれ、本が大好きなジニーは頻繁に王立図書館に通っている。
とはいえ、図書館の蔵書は借りたら返さなければならない。
それも、期限を守って。
ゆえに、今まで借りた本を返す必要があった。
「なので、特に問題はありませんわ」
「で、でも本まで持ってもらってしまって」
ジニーが借りた本は膨大であり、彼女一人で運べるものではなかったので何冊かヴェーセルの鞄に入れて運んでいた。
ただついてきてもらうばかりか、物まで主人に持たせている状態に、ジニーは申し訳なさを感じているらしかった。
「ただ、ワタクシは貴方たちと一緒に過ごしている時間が大切なだけですわ」
「ヴェ、ヴェーセル様」
ジニーは、顔を赤らめてふいっと目を逸らした。
そんな態度がとてもかわいくて、流れるような動作でヴェーセルはジニーを抱きしめた。
「ああ、いい匂いですわ」
「ひゃああああああっ、あ、あの、恥ずかしいのでにおいを外で嗅がないでください!家だけにしてください、ヴェーセル様!」
恥ずかしがりながらも、拒絶はしないジニーに抱き着きながら、二人は図書館までたどり着いた。
王立図書館は、この国一番の蔵書を誇る建物だ。
本がぎっしりと詰められた、首が痛くなるほどに高い棚がそこかしこに配置されている。
視界に映るだけでも、千を超える本、本、本の山。
ヴェーセルは前世ではあまり本を読まず、図書館に行くこともほとんどなかった。
「ジニーは、本当に本が好きですわね」
「ええ、そうなんです。活字であれば、何でもいいというか」
彼女がヴェーセルの家庭教師になったのは、元々王立図書館に入るためだった。
王立図書館は、ヴェーセルたちが住まう貴族街に存在しており、貴族かそれに仕えるものたちしか出入りできない。
孤児で平民だったが、優秀だと評判の彼女に目をつけて勧誘したのも随分前の話。
誰よりも本を読み、知識を蓄えた彼女は頼れる右腕になってくれている。
落ち目の悪役であるヴェーセルに、従っているのが勿体無いくらいだ。
「何か、借りたい本はありますの?」
「え、でも、いいんですか?」
口では遠慮しているが、先程とは違って、全然嫌がっている様子はない。
むしろ、周囲にある本を見て、どれにしようかと子供のように眼を輝かせている。
「ど、どれにしましょうか。『新約・魔導大全』でしょうか、『ゴレイム討伐記』にしましょうか。あるいは、『神龍樹の下で愛欲』の新刊も……」
ぶつぶつと呟きながら、本棚にある本を物色するジニーを、微笑ましく思いながらヴェーセルはすぐ後ろをついていった。
思えば、ヴェーセルにそういう全力で打ち込めるような趣味などがなかった。
今世もそうだし、前世もそうだった。
貴族として生まれても、娯楽にあふれた現代日本に生まれても、ヴェーセルには打ち込めるものなんてなかった。
だから、何かしらに熱中できるジニーやルーナを尊敬していたし、好きだった。
ちなみに、ルーナは紅茶が好きで、毎日おいしい紅茶をヴェーセルや他の使用人に淹れてくれる。
茶葉や淹れ方などにもこだわっているらしく、給金の大半は茶葉に消えているんだとか。
「屋敷に戻ったら、ルーナの紅茶を飲みながら読書の時間にしましょうか」
「は、はい。じゃあ、ヴェーセル様用の本も探さないといけませんね。例えば『鋼姫と毒姫の狭愛』とか」
「ちょっと怖そうなタイトルですわね……」
「いえ、そんなことはないんですよ。この本はですね――」
彼女が、何を言おうとしたのか、ヴェーセルには最後まで聞きとれなかった。
より強い空気の振動にかき消されたから。
「PEEEEEEEEEEN」
「!」
轟音とともに、図書館の壁が、吹き飛んだから。
壁の破片が、棚であった木片が、本が、衝撃とともにあちこちに飛散する。
それに加えて地震とも違う、大質量のなにかが壁を突き破ったが故の振動が伝わってくる。
それは、試験管の底を上にしたような形をしていた。
それは、頭部に扁平のくちばしがついていた。
それは、黒色と白色で構成されていた。
それは、ペンギン型の怪物だった。
◇◇◇
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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