第3話「呼び出しと鶏と変身ポーズ」

 

 パーティで婚約破棄をされた次の日。

 じりりん、とヴェーセルの部屋に備え付けられた固定電話が鳴った。

 中世ヨーロッパに似たこの世界にはあまり相応しくない黒電話の受話器を、メイドであるルーナがとる。



「ヴェーセル様、ゴレイムが出現したそうです」

「そう、場所はどの辺りでして?」



 仮面騎兵は、王国のあちこちに派遣される。

 ヴェーセルたちの住む王都から、辺境までさまざま。

 場合によっては、片道一週間かかることもある。

 旅支度をしたほうがいいのだろうか、と考えかけて。



「そ、それが」

「?」

「王都の、王城の、中庭、とのことです」

「何ですって?」



 この国で最も重要かつ、セキュリティが高い場所に出てきたという知らせを聞いてヴェーセルは一瞬、取り乱した。

 がそれもすぐのこと。



「では、猶予はありませんことね。ワタクシたちも急ぐと致しましょう」

「はっ!」



 額に取り付けられた仮面を触りながら、ルーナとヴェーセルは部屋を飛び出していった。

 ヴェーセルの住まうグラスホッパー邸から、王城までは歩いても一時間とかからない。

 走れば、さらに時間を短縮できる。



「こうやって走るのも慣れてしまいましたわね」



 紫色のロングスカートを両手で摘まみながら石畳の上をハイヒールで駆ける。

 転生したての頃は出来なかったが、十年以上をヴェーセル・グラスホッパーとして生きる上で身に着けた。



「ところで、王城に現れたということは、王族が襲われているということですの?」

「ええっと」



 彼女の隣で同じくスカートをたくし上げながら走っているルーナが困ったような顔をする。

 ルーナは温和な性格だが、コミュニケーションに難があるわけではない。

自分の意見ははっきり言うし、わからないならわからないと言える。

目上の存在であっても、セクハラされるのは恥ずかしいと言い切れるような人間だ。

そんな彼女が言いよどむのであれば、その狙われている対象は一人に絞られる。

 ヴェーセルにとって、なるべく関わりたくない人間で、かつ王族。



「別にもう恨んではいないのですけど、少々気まずいですわね」



 そんなつぶやきは、風に乗って消えた。

 王城の中庭は、広大だ。

 剪定された木々が、整えられた芝生が、数多の石像が、一つの森林公園並みの規模で用意されている。

 そこにいるのは、人間と、怪物。



「ひ、ひいっ!【サンダー・スピア】!」



 フィリップが宣言すると同時に、雷が彼の眼前にいるソレにふり注ぐ。

 雷撃はソレの周囲の草を燃やし、土が含んだ水気を蒸発させて蒸気へと変える。

 相手が人間であれば、いや生物であれば高圧電流によって即死するレベルの高等魔術。

だがしかし。



「無傷……」



 ソレ、すなわち目の前にいる背丈が三メートルほどの怪物には、ダメージが徹っていなかった。

 人間であれば致命傷、あるいは即死しかねないほどの魔法を食らって、罅一つ、傷一つない。

 ソレの見た目を的確に表すのであれば、巨大な土色の鶏。

 雄々しいとさかも、突き出された胸肉も、全身を覆う羽毛も、うろこでおおわれた二本の足も、巨大な怪物の部位として考えれば全てが恐ろしく思える。

 すでに、フィリップは突き当たりの石壁まで追い詰められている。

 護衛はいない。

 先ほどまでいたのだが、すべて文字通りゴレイムに吞まれて消えた。

 嘴の端からしたたる血と、膨れ上がった腹部がすべてを物語っていた。

 あとは、フィリップとアメリアだけというわけだ。

 逃げ場はない。いや、逃げるわけにはいかない。



「フィリップ様」

「大丈夫だよアメリア、私が君を守るから」



 後ろに、しがみついて離れないアメリアがいるからだ。

 ゆっくりと近づいてくる、ゴレイムに対してフィリップは守るために腕を突き出して。



「そこまで、ですわ」

「ァ?」



 ゴレイムをはさんで、向こうからの声とともに。



「止まりなさいな、デカブツ」

「ア?」



 ゴレイムの奥から、声がした。フィリップにとっても覚えのある声だった。



「これが、ゴレイムですわね。気味が悪いの一言に尽きますわ」



 血の付いた嘴の鶏を見て、不快そうに彼女は顔をしかめた。



「ヴェーセル……」



 フィリップは、ヴェーセルを見ると苦々しそうな顔をして目を逸らした。

 ヴェーセルも気まずくはある。

 何しろ、ゴレイムの奥にいるのは、自分を捨てて、なおかつ晒し者にした相手なのだから。



「けれど、それが、助けない理由にはなりませんわ」

「ヴェーセル様!頑張ってください!」

「ええ、もちろんですわ」



 額にある『仮面』を手に取る。

 彼女の体から引きはがせない代わりに、体から離しさえしなければどこにでもつけることができる。

 手に取った直後、彼女の腰に、植物の蔓でできた緑色のベルトが出現する。

 中央にある花の萼を連想させる形状のバックルに、紫色の仮面を取り付ける。

 


『Set――seed mask』

「アアアアアアアア」



 鶏型のゴレイムは、ゆっくりと、フィリップからヴェーセルの方へと向き直る。

 あるいは、変身する前に叩くためか。

 しかし、少しだけヴェーセルのほうが早い。

 左手で右肩を払って、左手を爪を剝きだすように開いたまま、手の甲を相手に向ける。

 右手は、『仮面』に触れたまま、言葉を発する。



「――変身」

『Change――bind weed』



彼女が宣言した直後、音声が響いて、ヴェーセルの姿は紫色の輝きに包まれた。


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