第16話
「緋月、この妖狐を従えるにはどうすればいいの?」
「早まらないでください、馨子様!」
「簡単だよ。馨子の血で、僕の体に刻印を付ければいい」
「貴様、余計なことを言うな!」
「緋月、あやかしとの契約はそうするの?」
「…………そうです」
心底答えたくなさそうに、緋月が肯定した。
緋月と出会ったときにも、そんなやり取りをしたのだろうか。幼かったのでよく覚えていないが、それがあやかしを従者とする儀式のようなものらしい。
「馨子様、私は反対です。そもそも妖狐など、人をおちょくることを生き甲斐としているようなあやかしです。馨子様の従者にはふさわしくありません」
「偏見だ! それを言うなら鬼なんて、恨みつらみをこじらせた陰気なやつばかりだろ?」
「狐、二度とその口を開けないようにしてやろうか?」
「鬼はすぐそうやって暴力に訴える」
(鬼と狐って相性が悪いのかしら? それともこの二人だけ?)
軽薄そうな妖狐と、主人に一途すぎる鬼。正反対なあやかし二人を従えることなどできるだろうか。
ただ、想定外ではあるけれど、妖狐と契約を結ぶのは悪い話ではなかった。妖狐が言うように馨子が彼の歯止めになるし、力が強いあやかしを従えることは鬼堂院家にとっても利になる。
「決めたわ。私は妖狐と主従の契約を結ぶ」
「馨子様!」
「やった! ありがとう、馨子!」
「ごめんなさい、緋月。だけど、やっぱりこうすることが一番いいと思うの」
緋月は観念したように黙り込んだ。賛成はしないが、馨子の意図を理解はしてくれたのだろう。
「じゃあ、緋月。私の指をちょっとだけ噛んでくれない?」
「は? 噛む……?」
馨子が頼むと、緋月はめずらしく動揺の色を見せた。面白いくらい困惑している。
「だって、自分では血が出るほど噛むのは難しいでしょう。お願い」
主人を傷つけるのは、従者として受け入れがたい行為かもしれない。けれど、頼めるのは緋月しかいなかった。
馨子が左手の人差し指を差し出すと、躊躇う様子を見せながらも、緋月は馨子の指先を軽く噛んだ。簡単に肉を引き裂く鬼の鋭い牙が馨子の指に刺さり、わずかな痛みとともに血が流れ出る。
馨子は妖狐の右掌に出血した指を押し当てた。
「妖狐、私の眷属になると誓って」
「僕は馨子の眷属になって、君に仕えることを誓うよ」
妖狐が宣誓すると、掌に付いた血が光を放つ。
一瞬だけ眩い光が夜の闇を払い、すぐに元の暗闇へと戻った。
けれど、妖狐の掌には何の痕跡もない。
「刻印は目には見えないけれど、これで僕は馨子に従うあやかしだ」
陰陽師ではないのに、馨子はこれで二人もあやかしを従えることになった。それも、鬼と妖狐という、あやかしの中でも高位の力を持つものたちだ。
彼らに命令し、使役したいわけではない。ただ、現世で生きにくいあやかしたちの居場所に、自分がなれたらと思うのだ。
時の長さが違う人とあやかしが、いつまで一緒にいられるかはわからないけれど。
「妖狐。あなたには名前はあるの?」
「神としての名はもう不要だから、君が新しくつけてよ」
「私が?」
あやかしにとって、名前は大切なものである。それを決めるとなると責任重大だ。
馨子は空を見上げ、しばらく考える。
「金色のお星様のようだから、
「綺羅、凄くいいね! 気に入ったよ」
妖狐改め綺羅は、満足してくれたようだ。
「では、これからよろしくね、綺羅」
「よろしく、馨子」
綺羅と握手していると、緋月がいきなり馨子を抱き上げた。離すまいとするように両腕でしっかりと支え、さっき屋根から降りた時よりもぴったり密着した姿勢に、馨子は慌てる。
「帰りますよ、馨子様」
「ちょっと! まさかこうやって帰るつもり?」
「そうですが、何か問題でも?」
鬼の姿のまま、馨子を抱いて屋敷に戻るつもりらしい。
浅草から鬼堂院家までは結構な距離がある。自動車は屋敷に置いてきたのだろうし、他に帰宅する術はない。
それに、妖狐との戦闘中、緋月は屋根から屋根へと飛んでいたように、自動車で道路を走るよりもこちらのほうが速いのだ。
(緋月に抱っこされるなんて久しぶりすぎて、凄く恥ずかしいんだけど!)
幼い頃は毎日のように抱っこされたりおんぶされたりしていたが、今はあの時より馨子も成長している。嫁入り前の年頃の女子が男性に抱えられるなど、端から見ればふしだら以外のなにものでもない。
鬼と化した緋月の姿は見えないが、馨子が一人で屋根の上を飛んでいると思われたら、それはそれで問題ではある。
「夜ですから、誰も空など見ていませんよ」
「そうかもしれないけど……」
「じゃあ、僕は馨子に抱っこしてもらおう」
綺羅が子ぎつね姿のに変化して、馨子の肩にぽんと飛び乗った。
緋月は無言で馨子を抱え直すと、片手で子ぎつねを掴んでポイと投げ捨てる。
「何するんだよ!」
「参りますよ、馨子様。しっかり掴まっていてください」
「おい、待てよ! 僕を置いていくな!」
緋月が飛んだので、馨子は思わず彼の首にぎゅっとしがみついた。綺羅が喚きながら後を追ってくる。
眼下を街の灯りが流れ、空には月が煌々と光っていた。まるで夢のような心地よさに、馨子はうっとりと目を閉じる。
(いつまでも、こうしていられたらいいのに……)
そうして、安堵するあまり馨子はいつしか眠りに落ちた。
夜更けになっても賑わう帝都の上を、少女を抱いた緋色の鬼と一匹の子ぎつねが飛んでいく。その光景を目撃した者はいなかった。
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