第12話

 緋月は良明とともに銀座のビルヂング建設予定地に赴いたが、肝心の妖狐の気配はどこにもなかった。

 土地神でありながら、この地に囚われているわけではなさそうだ。だがふたたび戻って来ないとも限らない。そうなれば、また事故が引き起こされるかもしれない。


 土地に残っていた穢れを一通り祓った後、何かあればまた連絡をもらうことになり、緋月と良明は鬼堂院家へと戻って来た。


「あの土地の所有者は東川男爵だ。男爵のご令嬢も馨子と同じ桜岡女学校に通っている。馨子とは仲が良かったと思うが」

「馨子様から聞いています。お名前は確か、東川晶子さんでしたね」


 馨子からたびたびその名前は聞いている。親友といってもいいくらいの仲だった。

 昨日遊びに行ったのも晶子の家だったはずだ。例の狐狗狸さんを行った時にも、晶子は一緒だった。


(狐か……妙な符号だな)


 巷で流行っている狐狗狸さんの儀式は、狐や狗、狸といった動物霊を呼び出すというものだ。ただの子供の遊びで、実際に神霊の類を呼び出す効力はなく、馨子の話でも何も起こらなかった。

 それでも、狐の霊を呼び出すという儀式と、祠を失った妖狐に、奇妙な繋がりを感じてしまう。


 緋月は、一人で女学校へ行った馨子の安否が気になった。お供に小鬼を付けているので、人が起こす事件や事故くらいならば多少の役には立つだろう。ただし、それなりのあやかしに遭遇した場合、小鬼では弱すぎて相手にならない。


(帰りがいつもより遅いようだが……)


 まだ外が暗くなるほどの時間ではないが、落ち着かない。

 馨子の身に何かあったのではないか。そう考えると緋月はいてもたってもいられなくなった。


「良明様、私は馨子様をお迎えに行ってきます」

「おまえはまたそうやって馨子を甘やかす。馨子の自立のために、たまには見守ることも大事だぞ」

「ですが……」


 良明に諭されて、立ち上がりかけた緋月の動きが止まる。

 そこへ、障子が開かれた縁側から、なにかが室内に飛び込んできた。


「緋月様、大変です!」


 馨子の供につけていた小鬼である。

 甲高い声で喚きながら、小鬼は卓袱台ちゃぶだいにぽとりと落ちた。突然現れた小鬼に、良明が飲んでいた茶を吹き出す。


「何があった? 馨子様は?」

「お友達の家で妖狐に出くわしました! お友達が妖狐に憑依されていて、馨子様はそれを助けたいとお考えなのです!」

「妖狐が東川家に?」

「すみません! オレでは太刀打ちできないので、急いで緋月様を呼んできますと、馨子様にも言ってきました!」


 緋月の胸騒ぎが的中した。銀座で暴れていた妖狐はどういうわけか東川邸へ移動したらしい。晶子に憑依したということは、祠を壊した東川家に何らかの仕返しをするつもりなのかもしれない。


「緋月、小鬼はなんと言っている?」


 良明には小鬼の姿は見えるが、言葉は通じない。理解できるのは小鬼の主である緋月だけである。

 つまり、小鬼の意志は馨子には伝わっていないのだ。小鬼が緋月を呼びに来たことを知らずに、馨子が無茶をしなければ良いのだが。


「馨子様が東川邸で、例の妖狐と遭遇したそうです。危険な状況です。すぐに向かいます」

「待て、私も行く」


 立ち上がろうとした良明を、緋月が手で制す。


「良明様はこちらでお待ちください。失礼ですが、足手まといになりますから」

「……本当に失礼だな、おまえ」


 良明はぼやきながら座布団に座りなおした。それから、表情を引き締めて緋月を見上げる。


「だが、確かにおまえの言う通りかもしれん。……どうか馨子を頼む、緋月」

「命に代えてもお救いします」


 馨子は掛け替えのない、自分の命よりも大切な主人である。

 他のあやかしであろうと、人間であろうと、髪の毛一本でも傷つけさせはしない。


 妖狐に対する憤怒が炎と化して、緋月の体を包んだ。

 纏う衣装が黒い洋装から緋色の着物へと変わる。長く伸びた髪も瞳も緋色に変化し、頭部には剣のように尖った鬼の角が出現した。

 本来の、あやかしとしての緋月の姿である。


 この姿に変化すると、ほとんどの人間の目には見えない。見えるのは馨子や良明など、霊力を持つ一部の人間だけである。

 久しぶりに見る鬼の姿に圧倒されている良明を残して外へ出ると、緋月は舞うように屋根へと飛び上がり、帝都の空を駆けて行った。

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