第11話
「なんだ、今のは?」
妖狐も唖然として窓を見ている。なんと説明したものか。
「……通りすがりのただの小鬼よ」
「そんなわけないだろ。あんなものを連れているなんて、君は何者なんだ?」
妖狐が馨子の前に立ち、金色の瞳でじっと見下ろす。
やがて何かに気づいたように、妖狐は馨子のほうへ顔を近づけると、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。
「そういえば、僕のところに来た間抜けな陰陽師と、君は似た匂いがするな。……なるほど。馨子に僕が見えたのは、君が陰陽師の血を引いているからか。あの男はさしずめ、君の父親ってところかな」
「あなたはやっぱり、銀座の祠に祀られていたという稲荷神なのね」
「君も知っていたのか。そうだよ、僕は神なんだ」
妖狐は得意げに胸を張る。
一応は神様なのだから、強い力を持つのは当然である。
間抜けな陰陽師とは、馨子の父のことだろう。まるで相手にしてもらえなかったようなことを言っていた。
父は今日も、妖狐の怒りを鎮めるために出かけている。当の妖狐がここにいるのだから無駄足というものだ。
妖狐がわざわざ晶子を狙って憑依したことに、馨子は引っかかりを覚えた。
「もしかすると、あなたの祠を撤去したその土地の持ち主は、晶子さんのお父様だったの?」
「勘がいいね、馨子。その通りだよ。僕は僕の祠を壊された復讐をするために、この娘に取り憑いたんだ。本来、土地神である僕は自由に動けない。だけどたまたま、土地と縁のあるこの娘が降霊術を行ってくれたおかげで、ここまで飛んで来られたというわけさ」
妖狐がこの家に現れたのは、東川家に復讐するためだった。しかも、晶子が行った狐狗狸さんが招いてしまったということになる。
やはり晶子を止めれば良かった。妖狐の正体にもまるで気づかなかったことに、馨子は不甲斐なさを感じる。
「祠を壊されて怒るのは理解できるわ。だけど、こんなことをしてもあなたは報われない。このまま災いを振りまき続ければ、かつては神として祀られたあやかしが、ただ人を呪うだけの怨霊に成り下がってしまう」
「神として祀ったり、怨霊として祓ったり、人間はどこまでも身勝手な生き物だよ。どうせもう僕には行き場もない。このまま祟り神となって、人間に恐れられるのも悪くないと思うんだ」
妖狐は完全に開き直っているようだ。
こうして対峙していても、背筋がぞくぞくするほどの妖狐の力を感じる。神格のあやかしが本気になれば、人を祟り殺すことくらいわけはないだろう。
馨子に成す術はなく、正直とても恐ろしい。
小鬼のように逃げ出してしまいたい。
それでも、ここで諦めたくはなかった。
陰陽師としての誇りを捨てていない父のように、人とあやかしが生きるこの現世のために、少しでも自分にできることをしたい。今はとにかく、大切な友人を助けたかった。
「あなたの言いたいことはわかったわ。人間が身勝手なことも、その通りだと思う。だけど、晶子さんは何も悪いことはしていないのよ。お願いだから、彼女を苦しめないで」
「この娘個人に恨みはないが、大事な娘が神の祟りで死ねば、あの男も多少は反省するだろう?」
「どうしても、晶子さんを取り殺すというの?」
「そうでもしないと、僕にまとわりつくこの瘴気は消えないらしい」
晶子の長い黒髪が、白い寝巻が、風にあおられるように浮き上がる。
彼女の中にいる妖狐の怒りが、黒い妖気となって体外へとにじみ出ていた。
勝手な都合で祠を壊した晶子の父親への、ひいては身勝手な人間たちに対する憎しみだ。
神として人々に祈られ、人々を守っていた時代も確かにあったのだろうに。それがこんなに簡単に裏切られ、排除される。
彼の行き場のない激情には、深い悲しみと、人間に対する失望もこめられているのだと馨子は思う。
「あなたの怒りは、身勝手な人間全体に向けられているものなんでしょう? だったら、取りつく相手は晶子さんでなくても構わないんじゃない?」
妖狐が怪訝そうに馨子を見つめる。
「どういう意味だい?」
「晶子さんの代わりに、私に取り憑きなさい」
馨子の提案に妖狐が金色の目を見開いた。けれど、その顔にはすぐに警戒の色が浮かぶ。
「どういうつもりだ? 陰陽師の娘なら、あやかしに憑依されることがどんなことか、よくわかっているだろう」
「だからよ。何も知らない晶子さんよりは、私のほうがまだ適応力はあると思うの。著しく体力が削られることがないから、あなたも動きやすいでしょう? 晶子さんは大切な友達なの。死なせたくないわ」
妖狐を憑依させて無事でいられる自信があるわけではないが、晶子を救いたい気持ちが上回った。
もしも、完全に体を乗っ取られたとしたら、どうなるかはわからない。父や緋月に面倒を掛けるだろう。もしかしたら、命も危ないかもしれない。
(でも、緋月は私を必ず守ると誓ってくれた)
他力本願ではあるが、今は過保護な従者を信じたい。
「ふーん、ずいぶん友達思いなんだな。……いいよ。君の友情に免じて、この娘は解放してあげる」
小馬鹿にした口ぶりだったが、妖狐は言葉通りするりと晶子の体から抜け出た。
晶子の体が床に頽れそうになったのを、馨子が支えてベッドまで運んでやる。晶子はまだ意識が戻らないが、じきに目を覚ますだろう。
金色の妖狐が宙に浮き、馨子を見下ろしていた。
「本当に君に乗り移ってもいいんだね?」
「どうぞ、いらっしゃいな」
「君は本当に面白い娘だね、馨子」
妖狐が笑って、馨子へと降りて来る。
(緋月、ごめんなさい!)
祈るように心の中で呟きながら、馨子はぎゅっと目を閉じた。
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