第7話

 馨子の父、鬼堂院良明よしあきは、平安時代から続く鬼堂院流陰陽術の宗家である。

 陰陽師はあやかしを調伏して使役するが、鬼堂院はその名の通り鬼を使う流派だ。良明にも有能な鬼が何人も仕えている。


 けれどその夜、良明は馨子の部屋まで来て、緋月の手を借りたいと告げた。


「銀座の一画で怪異が起きているのだよ。新しくビルヂングを建てる予定地なんだが、地面が突然陥没したり、建材が消えたり、作業員に怪我や病気が続いたりしたせいで、祟りではないかと騒がれている。実際に現地に赴いてみたが、やはりあやかしが原因だった」


 陰陽師としての誇りと使命感を持つ父は、今も怪異に悩む人々からの相談を受けていた。

 文明開化以降、文化や風習が大きく変わり、それとともに神やあやかしの影響力が昔よりも弱まってきている。近頃はこういった依頼も少なくなったが、それでも不可思議な事件は至る所で起きていた。


 帝都では高層の建物が林立し、街並みは目まぐるしく変化している。それ自体は悪いことではない。けれど、その変化から零れ落ちた存在が、時に災いとして降りかかることもある。


「その地に祀られていた土地神が、祟り神になりかけているようだ」

「土地神?」

「稲荷神だ。長い間そこに建っていた祠を、魂抜きもせずに乱暴に撤去したらしい。居場所を失った稲荷神が怒っているのだよ」

「稲荷神……」


 馨子は奇妙な偶然を感じた。


(稲荷神って、狐よね……)


 もしや、今日出会った妖狐と何か関係があるのだろうか。

 災いを振りまくあやかしには見えなかったけれど、どこか不穏な感じがしたのも事実だ。去り際に彼が口にした『またね』という言葉も気に掛かる。


「当の施工主は、あまりそういったことを信じない性格のようだ。残念なことに、昨今はそういう御仁が少なくない。だが、現場で作業する人々にとっては、恐怖以外のなにものでもないだろう。依頼は作業員の頭領からのものだが、私を頼ってくれたのだからできる限り力になりたいと思う」

「その神様をどうするの?」

「できれば穏便に、こちらが用意する神域に移っていただきたいが、話を聞く気はないらしい。相手は老練な神格のあやかしだ。一筋縄ではいかない。それで、今度は念のため緋月を連れて行きたい」


 良明は以前にも、陰陽師の補佐として緋月を使ったことがある。緋月の妖力は、父が使役する鬼たちよりも強いらしい。

 こちらの妖力が弱ければ、侮られて交渉も上手くいかない。そのため、少しでも強い使役鬼を従えることが必要になる。神様が相手なら尚のこと。


 鬼堂院家に仕える鬼はみんな良明の命令に従うが、緋月だけは別だった。

 緋月は鬼堂院家ではなく馨子と契約している。基本的にいつも馨子の傍にいるし、馨子が禁じたことはしない。だから、当主である父でさえ、馨子に許可を求めるのだった。


 怪我人や病人まで出ているとなれば大事なので、父には協力したい。緋月と離れるのは不安だが、たった一日くらいなら問題ないだろう。


「わかったわ……」

「お断りします」


 馨子が返事をするのと同時に背後から声が聞こえた。

 いつの間にか緋月が馨子の部屋に立っている。あやかしというのは神出鬼没だ。わかってはいるが、時々心臓に悪い。


「私には馨子様の送迎という大切な仕事がありますので。たとえ良明様の頼みでもお引き受けできません」


 大真面目にそう話す。護衛の仕事に忠実なのは頼もしいが、こんなに堂々と言うほどのことではない。


「緋月、一日くらい大丈夫よ。女学校へは久しぶりに路面電車で行くから」

「馨子様はお一人で電車に乗れないでしょう。以前、電車での通学に憧れて、一人で大丈夫だと大見えを切ったあげく、まったく違う電車に乗って大遅刻されたことをお忘れですか?」

「いつの話よ! そんな心配しなくても、今はもう間違えたりしないわ」


 馨子は真っ赤になって反論した。ずっと一緒にいるということは、数々の恥ずかしい歴史を知られているということでもある。


「緋月、馨子を守ってくれるのはありがたいが、少し過保護すぎやしないか? 馨子もいつまでも子供ではないし、おまえが常に世話を焼いていると大人になれないだろう」

「私が一生面倒を見ますから、心配はいりません」

「一生って……たとえば私が結婚したらどうするの?」


 馨子は少し意地悪く聞いてみる。

 もしも馨子に縁談でも来たら、緋月はどうするのだろうか。


「私は馨子様の従者ですから、もちろん嫁ぎ先でもお守りします。それ以前に、馨子様と結婚する男は、私よりも強く賢く見目麗しくなければ認めませんが」

「……そんな人はどこを探してもいないと思うわ」


(これは……私に結婚してほしくないという焼き餅なの? それとも単に親馬鹿なだけ? わかりにくい!) 


 けれど、緋月の独占欲はちょっと嬉しい。

 ずっと今の関係で緋月に世話を焼かれ続けるというのは、果たして幸せなのか悩ましいところではあるが。


「緋月、お父様の話は聞こえていたでしょう? 深刻な事態なの。あなたには悪いけれど、明日はお父様のお手伝いをお願い。あやかしと人との調和を保つのが、鬼堂院家の務めだもの。被害が出ているなら見過ごせないわ」

「馨子様……」


 緋月は不満そうに表情を曇らせたが、観念したように軽く溜め息をついた。


「馨子様のご命令ならば従いましょう。正直、良明様に同行するとこき使われるので気が進まないのですが、仕方がありません」

「緋月、お父様が面倒をかけてごめんなさい。よろしくお願いするわ」

「おまえたち……私はこの家の当主なんだがね」


 良明は引きつった笑顔でぼそりと呟いた。

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